負けじとワークスマシン開発でピュアレプリカ誕生!
ヤマハは1984年にFZ400で成功を収め、その勢いでさらにレーシーなFZR400を1986年にリリース。
「ワークスクオリティ」と銘打ったNewマシンは、世界GPのYZR500で開発されたアルミのデルタBOXフレームで、エンジンもFZ750でジェネシスと次世代宣言をしたシリンダー角を45°に前傾、ダウンドラフトキャブレターでストレート吸気する構成そのままを400ccで踏襲した完全刷新のNewパワーソースだった。
従来のFZ400Rが54mm×43.6mmのボア×ストロークだったのに対し、56mm×40.5mmと燃焼室ボアを拡大したショートストロークへと大きく変えている。
それはとりもなおさず吸排のバルブ径を大きくしたかったからで、それぞれ1mm拡大した吸気がφ22mm、排気もφ19mmとなり、中央の点火プラグもφ12→φ10mmと細くしてバルブ径拡大のスペースを稼いでいた。
399ccは自主規制上限の59PS/12,000rpmと3.9kgm/9,500rpmをスペック表記、ピーク域は9,000rpm~12,000rpmと高回転パワーで、0-400mを11.9sec、トップスピードは216km/hを誇った。
アルミデルタBOXフレームは、空洞部分を持つため見た目のボリュームから想像できない軽量さで、車体の乾燥重量は157kgに過ぎない。
大径角断面スイングアームにリンク部分へニードルベアリングを用いたリヤサス、そして初のラジアルタイヤを採用することで、優れた路面追従性と前輪の安定性重視の特性と相俟って、コーナリングの高いポテンシャルが評判だった。
またカラーリングも、定番のヤマハ・レーシングカラーである白地に赤いストロボストライプに加え、世界GPや耐久レースで活躍するフランスヤマハのゴロワーズカラー(フランスの煙草ブランド)のブルーも用意され、レースファンには粋なグラフィックと喜ばれていた。
F3レースに勝利しSP仕様までリリースするホットな勢いが止まらない!
FZ400時代からもF3レースにワークスマシンを投入していたヤマハは、王座維持を狙ったNewワークスマシンの開発も続行。
その流れで当然のようにSPレース出場を前提としたバリエーションを開発、シングルシートの半ば市販レーサー然としたFZR400Rが1987年に発売となった。
また車体色もブラックやホワイト&ブルー系グラフィックも加わり、単にレースシーンに直結するイメージのみならず、スポーティなツーリングシーンにも似合う感性で幅広いヤマハファンを惹きつけていた。
ただ益々激化する400レプリカ戦線は、ワークスマシンでの進化を反映して最新である状態をキープする必要がある。
そのひとつが、前方から走行風をダイレクトに導くカウル両側のインテークからダクトで吸気圧を高める改装を1988年モデルから採り入れていた。
とはいえ各部のリファインではライバルが刷新していくスピードに勝てなくなるため、FZR400も1989年からフルモデルチェンジされFZR400RRとなった。
このモデルはすぐに斜めのスラントノーズに、ヘッドライトカバーレンズを組み込んだ新型へと僅か1シーズンで進化する勢い。
ただこうなればなるほど、過剰な競争の激化にユーザーのほうがついてゆけなくなり、徐々に嫌気がさしていく流れに変わりはじめていた。
こうして10年ともたなかったレプリカ全盛期だが、各メーカーとも濃密な開発競争に明け暮れ必要ならコスト無視も許された、エンジニアにとって黄金時代であったのは否めない。