初のスーパースポーツ勝者FZ400に続きHY戦争が渦中に!
1970年にバーチカルツインのXS-1で、早くから4ストビッグバイクを投入してきたヤマハだったが、パフォーマンスの領域は2ストのイメージが強く、スーパースポーツのカテゴリーから一歩身を引く状況が続いていた。
それを打ち破ったのが1984年のFZ400。初のメジャーなスーパースポーツ領域へ勝負に出て、トップセラーを勝ち取ったのだ。
しかし時代はHY戦争と呼ばれる、ホンダがクルマの排気ガス規制クリアでCVCCエンジン開発に全力を注いでいた時期から王座奪還を高らかに宣言した全面戦争へと激化する時代へと突入。
果たしてホンダは400ccクラスへ、それまでの直4からV型4気筒を開発。全日本ロードレースのF3(400ccクラス)にもVF400Fベースのワークスマシンでチャレンジを開始した。
これを迎え撃つヤマハもFZ400ベースのワークスマシンで対抗。そして次なる切り札をデビューさせたのだ。
エンジンはFZ750とFZ250で投入した、革新的なシリンダーを前傾45°としたジェネシス構想の新規エンジンを搭載。
ダウンドラフトキャブレターに、デジタル自動進角の採用など、一気にパフォーマンスでも4ストエンジンで先陣争いを勝ち抜く覚悟で漲っていた。
車体もあらんかぎりの最先端な豪華仕様。TZR250で初の市販車へ投入となった、YZR500ワークスマシンで開発したアルミのデルタボックス・フレームを奢ったのだ。
軽量で縦横の剛性で強弱を必要な位置で必要な強度を使い分けられる、いわばセミモノコック構想のコンセプトは、最新だった角断面のパイプフレームとは次元が異なるレベルを直感させ、レーシングマシンそのままのフルカウルのフォルムと相俟って、その進化ぶりは他を圧倒する勢いに満ちていた。
レーシングマシンと同時開発する戦力強化が功を奏し、
F3レースは覇権争いに勝利しリーダー格の位置を占めていた
FZ400でレース開発をした状況に併行して、このジェネシス構想の新エンジンに新フレームと、F3レースでの王座維持を狙ったワークスマシンを開発。
その流れで誕生したFZR400は、当然のようにレース出場を前提としたマシンも用意、シングルシートの半ば市販レーサー然としたFZR400Rが1987年から登場した。
ただ従来モデルのFZ400人気が、このFZR400デビュー後も衰えず、継続生産されるというモーターサイクルのファン心理ならではの現象もインパクトだった。
レーシングマシンに如何に近いか、もしくはそのままといえる仕様でも、マイノリティな雰囲気を伝えるロードゴーイング・レーサーなFZ400への思いを深めていたのだ。
レーサーレプリカ時代はさらにエスカレート、
まさにレーシングマシンそのままにまで進化!
この闘いの当事者、ライバルのホンダもV型4気筒をよりレーシーなシャシーへ搭載したマシンへと進化。
FZRと同じようにレーシングマシンと市販車が同時開発され、フレームもパイプフレームからツインチューブへと世代交替を進めていった。
この熾烈なまでの争いに、ヤマハはFZR400にRを加えたビッグマシンのレプリカと同じ仕様の最新マシンへと刷新、さらにまだ一年が過ぎていない時期に、エンジンの前傾度合いを45°→35°へとハンドリングのためにやや起したレイアウトの次世代を投入、排気系もEXUPという背圧を回転域で可変とするなど、最新テクノロジーを惜しみなく注ぎ込んでいた。
加えてデュアルビーム・プロジェクターという、スラントノーズに合うコンパクトなヘッドライトの採用など、レプリカ競走は完成度をさらに高めていったのだ。