唯一の2気筒、GPマシン譲りの高回転高出力!

ヤマハは1965年、90ccに何と2気筒エンジンを搭載したAT90をリリース。
このまさかの2気筒投入に他メーカーからの追随はないままに過ぎていった。
36.5mmの小さなボアに、43mmストロークで8.2PS/8,000rpmと、当時はライバルを突き放すハイパーエンジン。
最高速は100km/h(当時はカタログに表記!)で0→400mを20秒7で125ccより速い!と豪語していた。
しかもオイルポンプを駆動して吸気ポートへ給油する、ガソリンスタンドで混合油を給油しない画期的なメカニズムを採用していた。



ヤマハはホンダに続いて世界GPへチャレンジしていて、1965年にはメーカータイトルを獲得、125ccにも1966年からRA97という9速ミッションの125ccワークスマシンが連勝を重ねていた。
そんな勢いづくヤマハだったが、1965年当時はスポーツバイクで一番人気の90ccクラスには単気筒モデル。
そこへいきなりの2気筒投入はセンセーショナルだった。



AT90の車名は、オートルーブ・ツインの意味。
YG-1Dでスタートした分離給油のメカニズム(それまで2ストロークエンジンはガソリンスタンドで20:1にオイルを混ぜた専用の給油だった)を、技術革新を象徴するため車名に採り入れていたのだ。

但し8万円を超える価格と99kgの車重に躊躇する層もいて、ホンダが前後18インチと大型バイク並みのホイールを装備、フレームとリヤフェンダーを分離したCS90でその牙城を崩しにかかった。
まさに1960年代からのHY戦争だった。