時代のニーズをヤマハ独自の視点で構築した自信作!

1980年、400ccクラスでヤマハ初の4気筒、XJ400は大成功を収めた。
その後、1983年に水冷化したXJ400Zへと進化したが、レプリカブームの勢いにネイキッドも一旦は沈静化。
ところがカワサキは1989年に空冷2バルブのゼファーをリリース、一世を風靡したのはご存じの通り。
従来と次元の異なる400ネイキッドの流れに、ヤマハは対抗するNewモデルの企画段階で、慎重に解析しつつヤマハならではの視点でコンセプトを構築、自信作として開発をスタートさせた。

エンジンはかつての水冷XJ400Zをベースに敢えて空冷化。ただベースといっても生産設備を共有化するため、クランクからミッションへと各軸間を同じくするくらいで全面的に新設計されていた。
特徴は外観にもあって、空冷として見せる(魅せる)エンジンの視点から、エンジンのいちばん上にある2本のDOHCカムシャフトを昔ながらに距離の開いた位置に設定。
実際にバルブ挟み角も敢えて64°と大きくとった結果、中速寄りにバルブ径を拡大したペントルーフ(角度の急な屋根のような旧来のカタチ)燃焼室となっている。


搭載角度をシリンダーの前傾を14°に設定したボア×ストロークが55×42mmの399ccは、新しい馬力規制値上限の53ps/11,000rpmと3.5kgm/9,500rpmというスペック。
排気は4-2-1集合(エキゾーストパイプ部分で2番と3番を連結)、メガホン形状のサイレンサー内部を反転式として、低周波の力量感にこだわったエキゾーストノートを聴かせる。
フレームは完全なダブルクレードルで、エンジンマウントは3箇所ともリジット。
剛性感をたっぷり感じさせる取り回しと、前輪がリーンでやや遅れる弱アンダーステアのお得意ヤマハ・ハンドリングに徹した設定がされていた。
エンジン特性は高回転時には腕に覚えのあるライダーには相応の刺激を楽しめて、中速域以下では開けて曲がれるワインディングのポテンシャルを高める特性にまとめていた。



こうして、いかにもヤマハらしい安定性をベースに安心してコーナリングが楽しめるスポーツ性に、ヤマハファンは小躍りしていたが、レプリカに慣れたテスターが多いバイク雑誌からは、狙いが不明確な印象に捉えられていた。
しかも広告展開が、コンセプトを語るでもなく、半ばカルチャーに埋もれたような表現ばかりで伝わりにくい状況だった。
しかし実際には走りの良さに加え、リカバリーの安定した頼れるハンドリングが好評で、どのメーカーともスタンスの異なる硬派な400ネイキッドとしての存在感を放ち販売は好調に推移した。

そんな状況を優位に展開しようと、ヤマハはXJR400にサスペンションをグレードアップしたSモデルや、ブレーキにブレンボ製を奢ったRモデルを加えていく。
ミニカウルをマウントしたRIIもリリースされたが、他のライバルと同じようにこの手法は功を奏さず仕舞いだった。
カラーリングはそれまでの渋いブラックと明るいメタリックやキャンディートーンから、パールホワイト系にシルバーも展開、エンジンをブラックアウトにペイントしてカジュアルさとトラディショナルな新しさのアピールを試みていた。


そして1998年、XJR400はベースモデルもXJR400Rと"R"を車名に表記するモデルチェンジをうけた。
大容量化した燃料タンクなど、XJR1300の新デザインと統一感を感じるフォルムとなり、その後にヤマハのレーシングイメージでもあるブルー系にイエロー系もラインナップされ、燃料タンクのエンブレムに音叉マークを復活させるなど、トラディショナルさも加味したいかにもヤマハ・ファン向けな仕様へと変遷を遂げている。
しかし2007年モデルを最後に、空冷400ネイキッドは終焉を告げた。
最大の理由は国内向け400ccクラスの販売台数の落ち込み。
コスト的に新規の開発が見込めないマーケットとなったのが一番の原因だった。