既存の2ストメーカーは経験がない新構想Vツインでレーサーと同時開発!
2ストロークの一般公道向けモデルは1979年の50ccスポーツMB50でしかなかったホンダは、世界GPへの2スト参戦を機に急遽市販車として開発したMVX250で様々な問題点が露呈、ホンダは展開されるだろう全面戦争を前提に基本の戦略から見直す取り組みをスタートした。
それはレーシングマシンに倣ったレプリカ開発ではなく、レーシングマシン開発に市販車も含んでしまおうという、何ともストレートな前代未聞の手法だった。
そこには既存の2ストメーカーにはないエンジン形式という条件もつく。経験の少ない2ストであれば、むしろ追いかけるより独自の手法で一気に苦労を積み上げホンダだけの優位性を目指すほうが効率も良い、というものだった。
ホンダは既に世界GPで2ストの宿命である掃気ポートが隣の気筒と干渉するのを避けるため、シリンダーをV型配列とするワークスマシンを投入、続く市販レーサーの開発も90°Vツインと決定、これを一般公道も走れるスポーツバイクへ転用するプロジェクトが具体化したのだ。
56.0mm×50.6mmの249ccは、自主規制値上限の45PS/9,500rpmと3.6kgm/8,500rpm、モトクロス開発で実績のあるATACという排気サブチャンバーを下側気筒に設け、エンジン回転数を検知して電気ソレノイドで開閉して低回転域のレスポンスとトルクを稼ぐGPワークスマシン直系のテクノロジーを搭載。
キャブレターも厚みのあるフラットバルブが傾斜したベンチュリーを直立してスライドする、ボア径の拡大効果を得るこれもレーシングテクノロジーの反映だ。
このGPシーンでストレートよりコーナー立ち上がり加速を優先した構想が功を奏し、NS250F/Rのダイレクトに感じられる強みとなった。
またGPマシンからのダイレクトなフィードバックとして、使われはじめたばかりのシリンダー壁にニカジル・カーバイドのメッキを施し、ほぼ焼き付くことのない最新のアドバンテージを与えていた。
シャシーはNS250Rでオールアルミの角断面パイプで構成、ノンカウルのNS250Fでは同じ構成ながらスチール製角断面としてコストを削減、NS250Rの53万9,000円に対しNS250Fは42万9,000円(1984年当時で税別)の大差となっていた。
ただ重量差はアルミが4kgほど軽いが、カウルのないNS250Fでも乾燥で144kgと変わらない。
またリヤサスには油圧によるダイヤル回転のリモート操作できるプリロードアジャスターを奢る、250ccスポーツでは異例の豪華仕様としていた。
快進撃の予兆は圧倒的リードへとエスカレート!
走り出したNS250RとNS250Fは、コンパクトで低いロール軸の安定した運動性で、旋回も小回りが得意な立ち上がりのダッシュが鋭いポテンシャルの高いパフォーマンスで瞬く間に評判となった。
ホンダの2ストに不信感を抱いた層も、レースでの圧勝にワインディングで追いすがる2スト既存マシンを突き放してみせるシーンが説得力を高めていた。
そして1985年のフレディ・スペンサーの250/500ccクラス・ダブルタイトル獲得は、その圧倒的な強さを世界中にアピール、ファンの憧れのマシンとなっていったのだ。
このホンダ2ストメインの圧勝ぶりはその後も続き、NSR250Rへと進化していったのはご存じの通り。
勝負をかけるとなると、手段を選ばず最新テクノロジーへ躊躇することなくチャレンジしていくその勢いは、ライバルメーカーが追いつくのに苦労する圧倒的優位さに繋がっていた。ホンダの本気度が如何に凄まじいか、当時それを思い知らされたのは忘れられない。