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このバイクに注目
HONDA
MBX125F
1983model

2スト125戦線に堂々勝負したMBX125F!【このバイクに注目】

Photos:
HONDA

不慣れな2ストスポーツでいちばん真っ向勝負したMBX125F

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1983年、ホンダは世界GPに4ストNR500と交替した2ストNS500のデビューに呼応して、市販スポーツにも水冷2ストロークのマシンを新たに開発、次々と送り込んできた。
小排気量ではMB50/80が既に存在していたのをMBXへと刷新、しかし125ccクラスでは全くの新規開発で、このMBX125Fをリリースしたのだ。
いっぽう250ccでは3気筒のMVX250Fと、2スト経験がなかったホンダにとっては、新たに開発するのに課題が山積みのチャレンジと取り組む、不屈の魂を燃えたぎらせホンダ・ファンの心を繋ぎ止めていた。

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そうした中、125ccだけは実績が積まれていた。前年の1982年にMTX125Rという、1973年のエルシノア以来になるオフロードモデルが開発されていたからだ。
このエンジンにはATACという、排気側に設けたサブチャンバーの容積を回転域によって2段階に切り替えるシステムを備え、オフ系に必要な中速トルクがあるエンジン特性としていたので、これらを転用できるMBX125Fには自信もあった。
しかも排気チャンバーにはベンチュリー型の隔壁を設け、高回転時のピークパワーを上乗せできていた。
9,000rpmで22PSをスペックで叩き出し、車重が乾燥で100kgを切る96kgとパワーウェイトレシオでトップのアピールをしながらのデビューだった。

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しかし当時の2スト125ccスポーツは、水冷RZ125が独り勝ち状態。
ホンダとしては自信のある中速トルクだったが、具体的にレースの世界から実績を積み上げてきたヤマハの底力は侮り難く、強みとしていた中速域がRZ125からすれば逆に中速域のないピーキーな特性といわれてしまう差が明確だった。
おまけに前輪を16インチとGPマシン直系を謳っても、レース出場ではハイグリップタイヤが用意されていないマイノリティな仕様で、コストもあってレース参加が盛んになりつつあった状況では、却って評価を下げる要素になっていた。
とはいえ、高速道路には乗れないものの、スポーツバイクらしい醍醐味を味わえるパフォーマンスで、手頃な価格帯もあってマーケットとしてのポテンシャルを期待されたクラスだった。
ただ3気筒MVX250Fの苦戦や、MBX125Fでも後塵を拝した悔しさが、その後のNSやNSRのあらゆる手段を講じて絶対的な勝者を目指す、あの執念に火をつけたのは間違いない。