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ホンダのV型4気筒戦略がスタートしたのは1982年。
VF750系に続いてVF400系も加わり、当初は高次元なメカニズムのジェントル・スポーツでスタートしたが、レース参戦が本格化すると圧倒するパフォーマンスで一躍主役の座へと躍り出た。
2気筒幅のナロウなV4は、ツインチューブもスリムでリーンなど運動性のポテンシャルが並外れて高い。
そのメリットがレースで鍛えられると、まさに手のつけられない強みを発揮した。
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そうした積み重ねを経て1986年、FoeceV4の自信満々のキャッチコピーと共にVFR400R(NC21)がデビューした。
V4エンジンはスムーズな360°クランクから、レースで得たトラクションのレスポンスが良い180°クランクに変更、また動弁系はロッカーアームをピロボール支持のエンドアジャスト式として慣性質量の低減と吸入ポートをストレート化に貢献、そして最大のインパクトは高回転化でも超正確にバルブタイミングを刻むカムギヤトレインとしたことだろう。
カムギヤもV4となると直4と違い2組みの駆動メカニズムを搭載しなければならない。そこでホンダは精密なバルブタイミングを刻むためのバックラッシュをゼロにする2枚の位相した歯で組んだ状態をカセットに収める方式を開発、この高度なメカニズムの量産化と整備性向上を一気に高めたのだ。
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55mm×42mmの399ccから59PS/12500rpmと4kgm/10000rpmと自主規制上限スペックだが、そのレスポンスと高回転時のダッシュ力、さらには旋回中のトラクションをグングン高めていくトルクの強さは600cc並み……直4は完全に突き放され後塵を浴びるハメに陥ってしまった。
これには180°クランク採用によって、左右のVツインでエキゾーストをまとめ、その後に1本へ集合させる複雑な取り回しとサブチャンバーを介する構成にみられる、2ストロークのチャンバー開発並みに試行錯誤を繰り返した成果が大きく寄与していた。
フレームもRVFワークスマシン譲りのアルミツインチューブ。メインは28×60mmの内側にリブが入った目の字断面、VF400Fのパイプフレームと比べると捩り剛性で2倍、横剛性で4倍という大幅な剛性アップで、しかも4kgもの軽量化を果たしていたのだ。
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この独走で突き進むVFR400Rを、ホンダは息つく間も与えず絶対的な君臨状態へ一気に押し上げた。
スイングアームを片支持とした、プロアームの採用だ。
VFR400RはNC24と呼ばれるマイナーチェンジ以上の変更で、まさにワークスマシン仕様をダイレクトに反映したこの勢いに、ライバルメーカーはもとより400ccクラスのユーザーも唖然としていたのは忘れられない。
エンジンも吸気系から容量をアップしたサイレンサーに、ホイールデザインも更新され、レーシーな雰囲気はさらに迫力を増していた。
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さらには世界で勝ち続けるHRCワークスマシンが纏った、スポンサーのロスマンズカラーのスペシャルバージョンも登場、憧れるファンの心を惹きつけ続けていた。
V4パフォーマンスも磨きがかかり、トルキーで旋回加速でグイグイ曲がる、最強400の座を確かなモノとしていた。
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とはいえ、ライバルのインライン4気筒勢も必死で追いすがり、その差を縮めようと急ピッチで開発、迎え撃つホンダも手を緩めず進化を遂げ、1989年からはその名もNC30という実質市販レーサー然としてスペシャルマシン、VFR750Rの形式名RC30に倣い二眼ヘッドライトから全体をほぼ瓜二つのフォルムとした最強マシンをリリースするのだった。