RVF400ワークスマシンのレプリカVFR400RデビューでForce V4の猛攻スタート!
ホンダのV型4気筒戦略がスタートしたのは1982年。人々を驚かせたのはVF750系だけでなく、続いて400ccクラスにもV4が展開されたこと。
マルチ(多気筒化)で高回転型なのでピークパワーが高そうなイメージはできたが、750系でフラットなパワーフィーリングで中速域の力量感は、歴史を積み重ねてきたインライン4(直4)に軍配があがるという世間の評価だったからだ。
果たして初代のVF400Fは、スーパースポーツの新しいカタチをアピールしようとV4エンジンを露出させミニカウルを装備したスタイル。
しかし前評判通りスムーズだが面白みに欠けるといまひとつ勢いに乗れないままだった。
この乗るとスムースで整然としたV型4気筒というイメージで、食指が動きにくい状態を逆転したのは、他でもないF3レースでワークスマシンRVF400の圧勝。
Vバンク間へストレート吸気する効率の良さ、エンジン幅が2気筒分しかないリーンなど運動性で遥かに優位な本来のメリットが、レース活動による開発でその圧倒的なポテンシャルを次々と開花させていった。
その圧倒的にパワフルで切り刻むように俊敏なコーナリングを見せつけたRVFレプリカとして、ツインチューブフレームでフルカウルのVFR400Rが投入されたのだ!
V4エンジンはスムーズな360°クランクから、レースで得たトラクションのレスポンスが良い180°クランクに変更、また動弁系はロッカーアームをピロボール支持のエンドアジャスト式として慣性質量の低減と吸入ポートをストレート化に貢献、そして最大のインパクトはカムギヤトレインとしたことだろう。
カムギヤもV4となると直4と違い2組みの駆動メカニズムを搭載しなければならない。そこでホンダは精密なバルブタイミングを刻むためのバックラッシュをゼロにする2枚の位相した歯で組んだ状態をカセットに収める方式を開発、この高度なメカニズムの量産化と整備性向上を一気に高めたのだ。
55mm×42mmの399ccから59PS/12500rpmと4kgm/10000rpmと自主規制上限スペックだが、そのレスポンスと高回転時のダッシュ力、さらには旋回中のトラクションをグングン高めていくトルクの強さは600cc並み……直4は完全に突き放され後塵を浴びる嵌めにハメに陥ってしまった。
これには180°クランク採用によって、左右のVツインでエキゾーストをまとめ、その後に1本へ集合させる複雑な取り回しとサブチャンバーを介する構成にみられる、2ストロークのチャンバー開発並みに試行錯誤を繰り返した成果が大きく寄与していた。
フレームもRVFワークスマシン譲りのアルミツインチューブ。メインは28×60mmの内側にリブが入った目の字断面、VF400Fのパイプフレームと比べると捩り剛性で2倍、横剛性で4倍という大幅な剛性アップで、しかも4kgもの軽量化を果たしていたのだ。
こうして世間のV4に対するイメージを払拭して、パフォーマンスでトップの実力を謳う戦略を広告でも展開。
世界でRVF750ワークスマシンが圧勝する勢いもあって、Force V4のスローガンがパワフルなパワーソースを前面に押し出す流れでファンの心を捥ぎとっていったのだ。
ワークスマシン同様に片支持のプロアーム採用で引き離しにかかる勢い!
まさしくV4は「無敵」を誇る時代へ突入、この勢いに乗ったままVFR400Rは、翌1987年にスイングアームを片支持のプロアームとするモデルチェンジへと歩みを進めた。
まさしくRVFワークスマシンのレプリカぶりを象徴するプロアームは、トルキーで最強400の座を確かなモノとする強烈なトラクションで益々評価を高めたのだ。
さらには世界で勝ち続けるHRCワークスマシンが纏った、スポンサーのロスマンズカラーのスペシャルバージョンも登場、憧れるファンの心を惹きつけ続けていた。
VFR400Rはその後1988年にNC30と呼ばれるテクノロジーをさらに進化させた頂点へと昇り詰め、1994年には車名をRVFとワークスマシンそのままを踏襲する最終章に到達、幕引きに相応しいほぼレーシングマシン仕様の公道版だったが、脇目もふらずひたすら性能を追求する猪突猛進ぶりが、レプリカ時代のホンダらしさのひとつでもあった。