CBR400FのハーフカウルENDURANCE人気にフルカウルも加わる!

1981年にホンダはCBX400Fで4気筒最強をアピール、続いて次世代のその名もCBRを冠としたCBR400Fを1983年12月にリリースした。
このCBRはCBX400Fエンジンをベースとしながら、REV.と呼ばれるバルブ休止システムを搭載しているのが最大の特徴。
早速ホンダファンをはじめ注目を集めたが、CBXでもそうだったように当初はカウルのないネイキッド・バージョンのみ。
しかし翌1984年の5月にはハーフカウルを装着したENDURANCEを発表、さらに7月に今度はフルカウルを加えるという段階的なリリースを重ねていったのだ。



いうまでもなく鈴鹿8耐で、日本のファンは耐久レーサーに対して世界GPを闘うGPマシンとは違った意味で憧れを抱いていた。
2ストロークエンジンのNSやNSRの鋭い速さも既に多くに伝わっていたが、400ccで主流の4スト4気筒はツーリングに使われる前提も多く含まれることから、この耐久レーサーイメージに大きな魅力を感じていたのだ。
そうしたファン心理を引きずり込むかのようなCBR400FからENDURANCEへの戦略に、ライバルメーカーは歯ぎしりしながら悔しがっていた。



CBRとなって搭載されたREV.と呼ばれるバルブ休止システムについて説明しておこう。
これはひとつの燃焼室に吸気2本と排気2本の合計4バルブあるうち、中速以下の低い回転域では吸気も排気も対角線上のひとつずつしか開閉せず、エンジン回転が上昇してくると仕込んである油圧経路の圧力が高くなることで、隣り同士のバルブを押すロッカーアームに入ったピンが押されてふたつを連結、4バルブになってピーク域のハイパワー特性へと変身、空冷ながらクラストップの58PSを可能にしていた。
これはピークの胸のすくような加速感もさることながら、中速域以下で力強さを得られる実用上のメリットが大きいことも高く評価され、さらに2バルブ→4バルブの切換え音も伝説として有名だ。


先ずはネイキッド仕様ではデビューしたCBR400Fに続いて、1984年にはハーフカウルを装着したCBR400F ENDURANCEが、年間で25,000台という途方もないヒットを飛ばしていた。
ENDURANCEの車名は、750~1,000でホンダが命名していたBOL D'ORと同じで耐久レースに因んだネーミング。
実はハーフカウルのENDURANCEがデビューして僅か2ヶ月後、それまでの規制撤廃でフルカウルバージョンも限定4,000台で登場と、ファンには目まぐるしい展開だった。


ただフルカウルともなると重装備となってしまい、メーカーの予見通り人気は依然としてハーフカウルバージョンに集中していた。
そのリカバリーも含め、1985年のENDURANCEはステンレス製の排気系、アルミキャストホイールなど、主に軽量化でマイナーチェンジを果たした。



そのいっぽうでレース熱はおさまるトコロを知らず、ベースマシンとしてさらにグレードの高い特別仕様を登場させることとなった。
但しENDURANCEの車名は使わず、FORMULA 3と明確に一線を画した位置づけとしている。
トリコロールカラーを纏ったCBR400F FORMULA 3は、カジュアルな雰囲気もあって多くのライダーが憧れる人気の頂点に位置していた。
ただその後はあまりにレーシングマシンに近いフォルムばかりになってしまい、個性的なロードゴーイング・レーサーとしてのフォルムはこの世代がピークだったといえる。