4気筒CBR250との棲み分けでさらに長期モデル化の一途へ!

ホンダが1982年5月にリリースしたVT250Fは、パワフルな2スト勢に対抗できる唯一の存在として瞬く間に10万台を突破するベストセラーとなった。
レッドゾーンが12,500rpmとGPマシン並みの高回転ハイメカは、35psと2ストと肩を並べるパフォーマンス。
その2年後に何と40PSと大幅にパワーアップ。しかも発生回転域はさらに高い12,500rpmで、レッドゾーンも13,500rpmと強烈な猛アピールだった。




しかしその後に250スポーツを取り巻く状況は大きく変化、250ccでも4気筒が注目を浴びるようになり、ホンダからもカムギヤトレーン搭載のCBR250Fourが登場。
そうなるとVT250Fを競合させるわけにはゆかず、ホンダはVツインをよりスタンダードなベーシック・スポーツとしての位置づけを与えた。
それがご覧のエアロフォルムで、アンダーカウルも装着して空力でゆとりある走りをイメージさせたのだ。
ただエンジンはボア60.0mmでストロークが44.0mmだったのを、僅か0.1mmだけストロークを延長、排気量も249ccのフルサイズで43ps/12,500rpmとさらにパワーアップしていた。
さらにフレームも72mm×25mmの角断面スチールのツインチューブで構成したダイアモンド形式と大きく変更、車重を乾燥で146kgに収めるフルモデルチェンジを敢行したのだ。


また250ccスポーツに課せられたテーマとして、より裾野を拡げる狙いから女性ライダーへの配慮を加え、一ヶ月後にピンクやグレーのカラーリングも登場してきた。
ただこのメカニズムぽさを全く感じさせないエアロフォルムに、パステルカラーという組み合わせに、ホンダファンはあまり好感触をみせず販売台数が伸びずにいた。
そこで翌1987年モデルでは、カラーリングをダーク系でフロントブレーキもダブルディスクとした、いわゆるスーパースポーツ色を強めたマイナーチェンジとなり、ベースだった赤白モデルも押し出しの強いトーンをアピールすることになった。




そうしたVT250Fの推移とは別次元で、国内マーケットはネイキッドブームなどスポーツバイクのカテゴリーに対する意識が変化、その流れから埋没しかねない危機感もあって、この250VツインはVTZ250という新たな出立ちを纏うこととなった。
そうした関係から、VT250Fの車名はこの1987年モデルが最後となったのだ。