レーシングマシン専用だったニカジル・シリンダーなど挽回にありったけを注ぎ込む!

1982年、ホンダは世界GPを4ストNR500ではなく、2ストローク3気筒のNS500で闘うと急遽方針を転換、市販ロードスポーツにも2スト路線を構築する宿命となった。
そのNS500に呼応して投じた第一段は、何と同じレイアウトのV型3気筒。
しかしこのMVX250F、このクラスに3気筒はパワーもトルクも細ってしまうのと、あまりに時間不足で初期トラブルも多発、「ホンダの2ストはまだまだ」との芳しくないイメージを植え付けてしまった。
GPマシンのNS500は初の2ストでも順調にライバルに伍して闘っていたので、市販車のほうも一気に挽回しようと思いきった開発手段を選択。
それはレーシングマシンに倣ったレプリカ開発ではなく、レーシングマシン開発に市販車も含んでしまおうという、前代未聞の何ともストレートな手法だった。
経験の少ない2ストであれば、むしろ追いかけるより独自の手法で一気に苦労を積み上げホンダだけの優位性を目指すほうが効率も良い、という考えからスタート。
実は500ccだけでなく、250ccにもワークスマシンの投入を決断、既に世界GPで実績を積んでいる2ストの宿命である掃気ポートが隣の気筒と干渉するのを避けるため、シリンダーを90°V型配列とするNewマシンを開発、同時にロードレースでのシェアを高める市販レーサーの開発を見据えてもいたのだ。


56.0mm×50.6mmの249ccは、自主規制値上限の45PS/9,500rpmと3.6kgm/8,500rpm、モトクロス開発で実績のあるATACという排気サブチャンバーを下側気筒に設け、エンジン回転数を検知して電気ソレノイドで開閉して低回転域のレスポンスとトルクを稼ぐGPワークスマシン直系のテクノロジーを搭載。
キャブレターも厚みのあるフラットバルブが傾斜したベンチュリーを直立してスライドする、ボア径の拡大効果を得るこれもレーシングテクノロジーの反映だ。
このGPシーンでストレートよりコーナー立ち上がり加速を優先した構想がレースと同じく功を奏し、NS250F/Rの強みとなった。
またGPマシンからのダイレクトなフィードバックとして、使われはじめたばかりのシリンダー壁にニカジル・カーバイドのメッキを市販車にも施し、ほぼ焼き付くことのない最新のアドバンテージを与えていた。


シャシーはNS250Rでオールアルミの角断面パイプで構成、ノンカウルのNS250Fでは同じ構成ながらスチール製角断面(スイングアームもスチール製で下側にいわゆるスタビライザーで補強)としてコストを削減、NS250Rの53万9,000円に対しNS250Fは42万9,000円(1984年当時で税別)の大差となっていた。
ただ重量差はアルミが4kgほど軽いが、カウルのないNS250Fでも乾燥で144kgと変わらない。
またリヤサスには油圧によるダイヤル回転のリモート操作できるプリロードアジャスターを奢る、250ccスポーツでは異例の豪華仕様としていた。


その後フレディ・スペンサー選手の500ccと250ccのダブルタイトル獲得を記念して、スポンサーのロスマンズ・カラーの限定車も追加され、こちらは申し込みが殺到する大人気となった。



果たしてNS250Rは、ピークパワーでライバルより強力に感じさせながら、中速域からのダッシュ力では先行メーカーを尻目に瞬く間に引き離すほどの差を見せつけた。
エンジンの耐久性も250ccのような量産車では例のないニカジル・シリンダー採用もあって、その信頼度も一気に挽回。
軽快なハンドリングながら、安定感も大きくワインディングで覇を競うライダーたちに選ばれるマシンとなったのだ。



勝負をかけるとなると、ホンダの手段を選ばず最新テクノロジーへ躊躇することなくチャレンジしていくその勢いは、ライバルメーカーが追いつくのに苦労する圧倒的優位さへ瞬く間に辿り着く。
ホンダの本気度が如何に凄まじいか、当時それを思い知らされたのが忘れられない。





