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このバイクに注目

初のサイドカムチェーン左右非対称4気筒のNinja900【このバイクに注目】

Z1以来の空冷四発が堅調で
水冷化が最後発となったカワサキ

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カワサキは1972年、CB750フォアに先行された大型4気筒スーパースポーツへ、DOHCで900ccとさらに強力でハイクオリティなZ1を投入。
一躍世界のリーダー格となる大人気で、1976年にはZ1000へと進化、1981年にはZ1100GPへと発展を遂げた。

ただライバルメーカーは、4バルブ化でパワフルさを増して猛追、中型クラスから熱対策で水冷化もはじまり、堅調なだけに大きく変えられずにいたカワサキも危機感を覚えずにはいられなかった。

実は1980年9月に空冷6気筒の1,000cc新規開発が決定され、試作車が走りだしたが、シックスのあまりのスムーズさにカワサキらしくないと断念。
コンセプトを根底から見直し、ライバルの1,000cc化に敢えて900で挑み、エンジンにバランサーを加えフレームとのラバーマウント化を避けた剛性メンバーとして思いきりコンパクトな構成を目標に、開発を急ピッチで進めたのだ。

2輪で初のサイドカムチェーンは
左右非対称という異質なルックスに

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もちろん900ccで世界最速を狙う高出力化には水冷が必須。
コンパクトさを求めた高効率化は、各気筒のピッチを均一にするためDOHC16バルブを駆動するカムチェーンを、これまで左右2気筒のセンターに設けていたのを、左端に設定するという、2輪では初のレイアウトとなった。

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これまで空冷だったこともあり、Z1以来センターにカムチェーンを配置することで、エンジンは左右どちらから見ても同じルックス。
それが片側はカムチェーントンネルのみで、シリンダーが見えないという左右非対称となってしまう。

しかしそれまでハーフカウルを前提としていたカワサキも、世界最速を狙うからにはエンジンも覆うフルカウルと決まっていたので、どうせ見えないのだからと開発陣は気にかけていなかったという。

その違和感をアピールにしてしまう
堂々のマイノリティ路線のカワサキ

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そして開発も終盤に差し掛った頃、クレイモデルを前に最終的な造形を決めるディスカッションが持たれた。
そこで飛び出したのが「左右非対称の違和感をアピールしてしまうのがカワサキじゃないのか!」との考え。

そこでフルカウルのエンジン部分を、当時は異様にも見えたカムチェーントンネルの形状に合わせてカット。
こうして右側はシリンダーだが、左側はカムチェーンという独得なルックスとなったのだ。

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デザインもCD値0.33の驚異的な空力特性を得ながら、フルカウルでもエンジンを見せるNinja人気を決定づける大英断も下され、1983年のパリサロンでデビュー。
続く12月にアメリカのラグナセカ・スピードウェイでワールドプレス発表、900ccながら115PSで250km/hのトップスピードと0-400mを10.976秒のパフォーマンスは世界の注目を集めた。

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こうして対米モデルのペットネームNinjaの名で世界を駆け巡った新たなフラッグシップGPZ900Rは、映画「トップガン」人気も追い風となり、1986年にはGPZ1000RX、1988年にはZX-10を経て1990年に147PSで300km/hに迫るZZR1100が登場しても、その人気は衰えず継続モデルとして生き残り続けたのだ。

A1~A16まで20年のロングランで発揮した
絶妙なグラフィックセンスの良さ!

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ほぼ20年にわたるロングランとなったGPZ900Rだが、1990年には前輪16インチを新世代の標準17インチ化などサイズ変更や足回りを刷新、1999年にラジアルタイヤ化やブレーキ強化にガス封入式ショックアブソーバーへと潮流に合わせた変更もうけたが、根強い人気に支えられエンジンや車体に外観という基本は全く変えずに生き存えていた。

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そしてこの間、様々なカラーリングにグラフィックのバリエーションが登場。
中には同じカラーリングを復活させながら、グラフィックの組み合わせが一部異なるなど巧みな処理も功を奏し、Ninja人気のレベルの高さに繋がっていた。
カワサキのデザイン力が国産メーカーの中でも群を抜いていたのは間違いない。
そして2003年、遂に20年の歴史に幕を閉じたが、累計で80,000台以上が生産されるという歴史に残る名車だった。