yamaha_fzr250_1986-88model_20260419_main.jpg
このバイクに注目
YAMAHA
FZR250
1986~1988model

FZR250はPHAZERフレームから見事にレーサーフォルムへ変身!【このバイクに注目】

SET_entDate

何とアルミのデルタBOXフレームよりスチール角断面フレームのほうが売れていた?!

yamaha_fzr250_1986-88model_20260419_01

1986年にデビューしたFZR250は、僅か2年で3万台を超える販売を達成していた。
実は1984年にヤマハ初のレプリカ・デザインのFZ400Rでも同じような経緯があり、当初から狙ったワケではなかったが、本モノのレーシングマシンに近づけ過ぎると購入するユーザーはやはり限定的になることを立証していたのだ。
そもそも当初ヤマハは過度なレーサーレプリカ路線には否定的で、スポーツバイク需要が急激に拡大したこの時期に、攻勢をかけようと開発した全く新しい水冷DOHC4気筒16バルブは、1985年のデビューにはレーサーのデザインではなく斬新なスーパースポーツを標榜していた。
しかしこのFZ250 PHAZERは、どこよりも先んじて初の気筒あたり4バルブ仕様を採用、最高出力45PSを何と14,500rpmの超高回転域で発生、さらに16,000rpmまで回るまさに金属音のエキゾーストノートが空気を切り裂く前傾45°ジェネシス・エンジンを搭載。

yamaha_fzr250_1986-88model_20260419_02

ところが世間の目は冷ややかで、この反応の悪さに即決で完全に手の平を返し、レーシーなデザインフォルムのFZR250をリリースする早業をみせた。
フレームも角断面のダブルクレードルと、本格的なコーナリングを前提にしたスーパースポーツが狙いだったので、これにレーシーなフルカウルとフューエルタンクとシートカウルを被せるだけで、瞬く間にレプリカへの変身が可能だった。
ヤマハはレースキャリアを途絶えることなく積んできた唯一のメーカーで、レーシングマシンのデザインもいちばん手がけてきた経験がある。
元々レースキャリアを途絶えることなく積んできた唯一のメーカーで、レーシングマシンのデザインもいちばん手がけてきた経験がある。
それだけにピュアレーシングなスタイルを生み出すのはお家芸で、FAZERのイメージなど微塵も感じさせず、ヤマハファンのみならず多くのライダーが殺到する魅力的なレプリカデザインが誕生したのだ。

yamaha_fzr250_1986-88model_20260419_03
yamaha_fzr250_1986-88model_20260419_04
yamaha_fzr250_1986-88model_20260419_05
yamaha_fzr250_1986-88model_20260419_06

基本的にFZ250 PHAZERのジェネシス・エンジンがベースで、ボア×ストロークが48.0mm×34.5mmのショートストローク。
PHAZERではクランク左側にあった点火系ピックアップを、FZR250では右側のACG側へ移動してエンジン幅を狭めている。
フレーム左側のダウンチューブをウォーターポンプとラジエーターを繋ぐ通路に利用するレイアウトもPHAZERから受け継ぐ。
通常の燃料タンクにみえるスペースは、前半分がエアクリーナーボックスで後半が本来の燃料タンクを配置している。
新たに加えたのは走行風をエアクリーナーへ導入するF.A.I.(フレッシュエアインテーク)で、カウル両側から採り入れるレーシングマシンに倣ったエアロダイナミクスの反映もFZRならでは。

yamaha_fzr250_1986-88model_20260419_07
yamaha_fzr250_1986-88model_20260419_08

この250ccクラスでは400レプリカとは違い、当時は実際にレースもなかったこともあり勝敗による優劣をユーザも忖度しないため、身近に感じるスタイリッシュなレプリカが好まれる傾向もFZR250を優位に導いていたのは間違いない。
また点火系をデジタル化したメリットで、6,000rpmのこのクラスでは実用域の中速トルクのレスポンスが力強く、これが乗りやすさに功を奏していたのも好評だった。
レプリカのブームには乗り遅れ気味なヤマハだったが、こうして250ccではむしろ先駆け的に見える位置づけをアピールして、カタログでもレーシーな雰囲気を醸し出すのに終始していた。

yamaha_fzr250_1986-88model_20260419_10
yamaha_fzr250_1986-88model_20260419_11

そして翌1988年モデルでは、排気の集合部分に半月の筒を電動で回転させ、マフラーの背圧を低い回転域では吹き抜けにくい閉じ気味にし、高回転域では解放して伸びやかにパワーを発揮する「EXUP」を装備、マフラーのサイレンサー部分をステンレス製としてサテライトメッキで覆うワークスマシンと同じルックスとしたマイナーチェンジをうけ、ボディカラーにフランス・ヤマハのイメージが漂うブルー系を加えている。

yamaha_fzr250_1986-88model_20260419_14
yamaha_fzr250_1986-88model_20260419_09

さらに当時のバイクブームの追い風となったのが鈴鹿8時間耐久レース。
そこにヤマハは1985年にケニー・ロバーツと平忠彦選手という、日米最速ライダーがペアを組むファンにとっては垂涎のチームで挑戦、しかも纏ったスポンサー・カラーは資生堂の男性化粧品TECH21。
このTECHカラーには多くが痺れ、FZR250でも同じカラーリングの特別限定仕様がリリースされたのだ。
また同じく全日本でヤマハのワークスマシンにペイントされていたコーヒーのNESCAFEカラーも、鈴鹿8耐で1987年に纏った特別なカラーリングの仕様がFZR250には用意されファンの注目を集めていた。

yamaha_fzr250_1986-88model_20260419_12
yamaha_fzr250_1986-88model_20260419_13

しかしライバルたちは250ccでも400並みの本格仕様に身を包む新型を投入、ヤマハも遂に1989年、FZR250Rという400cc以上ではお家芸のアルミ・デルタBOXフレームを採用した本格的ピュアレプリカ仕様へとモデルチェンジした。
そんな贅沢な進化が加えられても、FZR250で怒濤のように激増したシェアをヤマハが再び獲得することはなかった。
250ccには400ccとは違い別の温度感が必要……そう踏んだヤマハ自らも、ライバルとの闘いで大きな流れには逆らえなかったが、ユーザーにはアルミのデルタBOXフレームでなくともスチールフレームのFZR250のほうがメリットの大きいパッケージだったのだ。