4スト化をバーチカルツインでスタート、他の4気筒が主流へ対抗して選んだ独自性を重視した3気筒!
いまヤマハのビッグスポーツは、3気筒のXSR900が牽引しているのはご存じの通り。
この4気筒ではなくツインでもないヤマハのオリジナリティは、何と1976年にリリースされたGX750に端を発しているのだ。
いうまでもなく日本製ビッグバイクを世界の頂点へ押し上げたのは、量産車で初の4気筒を搭載した1969年のCB750フォア。
続いてカワサキが1974年に900ccのZ1で4気筒の絶対的存在となり、遅ればせながらスズキも1976年に4気筒GS750で追送を開始。
対してヤマハは4スト化に早くから取り組んでいたが、目標にしていたのが英国ビッグツイン。
トライアンフやBSAにノートンといった、アメリカ市場で'60年代から大成功を収めていた流れに食い込む戦略だった。
そして1970年に650ccのXS1をリリース。英国調な中に日本クオリティでOHVではなくOHCとしてよりスリムで華麗なデザインとしたのだ。
しかし既に世界は4気筒ブームに湧いていて、パフォーマンスイメージでは遅れをとった650バーチカルツインでは通用しない。
そこで1972年によりパフォーマンスを狙った前傾ツインのTX750、さらには超高回転化でかっ飛ぶイメージのTX500(DOHCで気筒あたり4バルブ×2=8バルブ)を1973年に投入したが、4気筒勢の牙城に食い込むことはなかった。
だからといって、ホンダやカワサキにスズキの4気筒戦線へ加わるのは潔しとしなかったヤマハは、何と3気筒にシャフト駆動という日本車では例のなかったオリジナルな構成へとチャレンジしたのだ。
初の3気筒で越えられた壁と、初のシャフトドライブで越えられなかった壁……
しかし他にないオリジナリティを大切にする構想は良かったものの、これまで経験のないふたつの課題、並列3気筒とシャフト駆動の開発は容易いモノではなかった。
まず3気筒は240°(4ストの行程サイクル)で、そもそもバランスが良く振動のない素性の構成。
しかしそれはピストンが往復する縦方向の振動に対してで、横方向となるとシリンダーの間隔を均等に並べないと震えるような強い応力が発生する。
そこでカムチェーントンネルを左端に配置して、1次減速をハイボチェーンとする構成へ辿りつき、さらにはエンジンの下部を支えて上部にはエンジンハンガーを持たないマウント方式とする(空吹かしするとシリンダーヘッドが振動するのが目視できる)など、初めてならではの困難と取り組み解決をしていた。
ただシャフトドライブの立ちはだかる壁は厚かった。
既にCB750フォアや英国ビッグツインでも、高速で長距離を走るヨーロッパのユーザーには、チェーン駆動の伸びと耐久性の低さへの不満は高く、BMWが本格ツーリング派に評価されている状況で、大人向けのクオリティを目指すには欠かせない課題でもあったのだ。
しかしテスト中にシャフトが駆動のON・OFFでジョイントが破断するトラブルが頻発、リリースまで残された期間があまりに短いため仕方なく経験豊富なメーカーのパーツを製造していたドイツのメーカーへ発注する非常手段がとられ、1976年のデビューに間に合わせることができた。
ヨーロッパへを意識したオリジナリティが仇となり、アメリカではプラス方向へと展開……
こうして満を持してリリースした新感覚の3気筒とシャフトドライブだったが、マーケットの4気筒を唯一無二と称賛する大きな流れを崩すことはできなかった。
翌1977年には3inti1で右側1本マフラーへ集合していた配列を、左右2本へ振り分け出力もアップしたが、これにも目立った効果は見られず苦戦が続いていた。
続いて4気筒のXS1000を、主にアメリカ市場をメインに開発してリリースしたが、フラッグシップとしての貫録に重きを置いたこともあり、ヤマハの4ストローク・ビッグスポーツでリーダーとして居並ぶ戦略は功を奏さずとなってしまったのだ。
その後排気量を850ccまでアップしたXS850を1980年にリリース、またアメリカとしてXS1(650)をチョッパースタイルにカスタム化デザインが成功を収めたSpecialシリーズへ加えたXS750SPECIALとなって、ようやくニーズを順調に伸ばす流れへと辿りついたのだ。
いまではヤマハのアイデンティティにもなっている3気筒エンジンは、かつてこの苦難を乗り越え培った様々なノウハウを積み上げてきたストーリー抜きに語るワケにはいかないだろう。