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初の水冷250だけじゃなかった
ヤマハが2ストの起死回生を賭けて
ありったけの頂点テクノロジーを注ぎ込んだ
そのひとつがダブルループクレードルフレーム
世界GPで頂点を狙うとき、ヤマハはフレームも最高峰を奢った唯一の日本メーカー
RZ伝説、第1回でお伝えしたように、’70年代まで海外では大型バイクも蹴散らすスポーツ性の高さで人気の頂点だったヤマハのYDSシリーズに端を発したRD250/350系列。
この売れっ子が、アメリカのカリフォルニアからはじまる厳しい排気ガス規制で、絶望的にパワーが落ち込んでしまった。「2ストは、終わった」とまで言われ、刺激が少なかろうが4スト化に拍車をかけるしかない、そう誰もが思っていた状況下で、ヤマハは虎視眈々と逆転劇の策を練っていたのだ。
もちろん切り札は2スト250ccの市販車では世界初の水冷エンジン。世界GPでプライベーターが欧米のワークスマシンと覇を競う、ヤマハの市販レーサーTZ250そのままをイメージさせ、もうそれだけで最強マシンと位置づけされるスペックだ。
さらにヤマハのワークスGPマシン直系、チャンバータイプの排気系、リヤサスも常識的な2本サスではなく初の1本サスと、ファンにとっては目を見張る超弩級の装備だらけ。
しかし、ヤマハはそうした注目される最新メカニズムだけではなく、一般のファンでは気づかない、いやプロのエンジニアでも着目をしない、マシンの根幹ともいえる部分にとんでもない贅沢なチャレンジをしたのだ。
それはフレーム。黒いパイプが取り回されたその形式が、半端なく手間のかかるGPマシン専用ともいえる超々スペシャルだったのである。
RD250 1973年
アメリカを中心に、英国トライアンフやBSAなど大型スポーツと対等に走れる加速と、優れたコーナリングで先行していたホンダ勢に迫る人気だったRD250(1973年型)。フレームは250でも大型スポーツ並みのダブルクレードルを奢っていた
RZ250 1980年
終焉と言われた2ストスポーツの逆転劇に賭けたヤマハの意気込みは凄まじかった。初の水冷、初のチャンバーマフラー、初のモノサス……その中で外観からはわかりにくいパイプフレームが、ワークスマシンと同じレイアウトという贅沢さだったのを知る人は少ない
ハンドリングのヤマハ、後々そういわせるほど車体づくりにはこだわりがあった
いまでこそスポーツバイクやレーシングマシンの車体といえば、アルミのモノコックやMotoGPマシンではカーボン素材もあるが、源流はいうまでもなくパイプフレーム。とくに戦後、メーカーの復興もあってロードレースがより高性能になってくると、グラグラせず安定してコーナリングできるマシン開発で、フレームが大きな要素を占めるようになっていった。
まず有名になったのがクレードルフレーム。クレードルとは「ゆりかご」の意味。エンジンの下を通るパイプが、前のほうではフロントフォークを支えるステアリングヘッド、後ろのほうでは2本のリヤサスのマウント位置へ、ちょうど台形を逆さにしたカタチとなるため、赤ちゃんを寝かしつけるため揺する「ゆりかご」の名前を引用したのだ。そのくらい安心できる安定した……というイメージも込められていて、これがエンジン両側で2対の逆台形でレイアウトされているのをダブルクレードル、エンジンの前のほうでエンジンがスリムな単気筒だったりすると1本の太めのパイプ(ダウンチューブともいう)としているのを、シングルクレードルと呼んでいる。どこかで見たり聞いたりしたことのある用語ではないだろうか。
そしてそのロードレースの頂点クラスでは、このダブルクレードルをもっと極めたレイアウトが採用されるようになった。それがダブルループクレードル。ダブルループ……ステアリングヘッドからエンジン下を通るメインのパイプが、後ろのリヤサス方向にではなくエンジン後方で回り込み、そこからステアリングヘッドへ向かい結ばれる、エンジンをグルリとループ状に取り囲むレイアウトが登場したのだ。
狙いは前後に長いと揺れに弱いため、エンジンを取り囲むコンパクト化で剛性をアップ、リヤサスのマウントはサブフレームとしてメインのループに溶接するという、パイプの配置だけ見れば似ているものの剛柔の共存が特徴。
1950年代に世界GPのメインストリームとなったノートンマンクスをはじめ、パワーとスピードでより安定性が求められると、このエンジンを取り囲むタイプが採り入れられていった。
ダブルループクレードルは、ワークスマシン専用フレームだった
こうした流れを早くから採り入れていたのがヤマハ。’60年代初頭に世界GP250ccクラスへ参戦を開始した最初のマシン、RD48こそダブルクレードルだったが、’64年に初の世界タイトルを獲得したRD56は、このダブルループクレードルを採用していたのだ。これはその後の発展型スクエア4気筒のRD05にも受け継がれた。
ヤマハはワークスマシンでさえ、カウル両側や排気系が路面に擦った痕がつくほど低重心化にこだわっていて、これは他の日本メーカーでは見られなかったことから、いかにハンドリングを重視していたかが伺い知れる。
ただ人気のYDSシリーズからRD250/350系列に至るまで、フレームはダブルクレードルで、エンジンを取り囲むループにはなっていない。理由は明確で、1本のパイプをエンジンを取り囲むまでの曲げ加工に並々ならぬ手間がかかるからだ。
つまり職人によるハンドメイドとなるため量産には向かず、クレードルのレイアウトにエンジン後方のスイングアームピボット軸を受ける部分から、燃料タンク下のタンクレールへと斜めに結ぶパイプを追加して、同じような効果を狙う取り回しが量産車では採用される結果となっていたのだ。
ワインディングを乱舞した多くのライダーたちがその醍醐味を享受したRZ250。その走りが超弩級のトップエンドのフレームが奢られていたという解説は、当時のバイク雑誌でほとんど語られることはなかった。
次回、RZ伝説Vol.3「チャンバー、モノサス、ライポジまでレースパーツだらけ。まさかの夢の具現化で時代は一気に動いた!」につづく……
RD56 1964年
ホンダを破って1964年に初の250cc世界タイトルを獲得したヤマハRD56。空冷ロータリーバルブ2気筒で、ご覧のようにフレームはエンジンを取り囲むダブルループクレードルをこの時期から採り入れていた
クレードルフレームは台形を逆さにしたレイアウトでクレードル(ゆりかご)に似ているカタチからそう呼ばれる。エンジン後部に補強の意味でサブパイプが溶接されている
ワークスマシンと同じエンジンを取り囲むダブルループクレードルを採用。長いパイプを曲げて加工する手間は量産向きではない。リヤサスを2本ではなくモノサスとしたこともサブフレーム化しやすかった