日本メーカーの攻勢で2輪を断念しかかったタイミングでパリ・ダカール+GSでボクサーが勝機をつかみ新世代開発へと辿り着いた!


BMWといえば2輪メーカーとしてスーパーバイクS1000系からボクサーのRシリーズなど、スポーツバイクで世界トップに位置づけられるメーカー。 そのBMWが、実は1970年代に2輪生産から撤退を決断するまでの状況にあったのをご存じだろうか。
1993年、BMWは新しい世代の水平対向ボクサーを発表、現在の水冷 DOHCのR1300系へと繋がるボクサー100年史を築いた歴史的にも意義深いNewモデルだった。
1923年にR32で、航空機エンジン製造からオートバイメーカーとしてスタートしたBMW。
そのとき既に水平対向ボクサーは、シャフトドライブで駆動までをユニットとして設計製造する当時は類をみない先進性で、その地を這う安定性とベルトやチェーンが切れる故障など無縁のタフネスぶりに瞬く間にベストセラーとなったのだ。

それは第2次世界大戦の直前に、マン島T.T.レースで過給器つきボクサーがライバルすべてを突き放す圧勝というカタチで君臨するまでになっていた。
また大戦では砂漠で闘う戦車部隊を、偵察と作戦指令で縦横無尽に走り回る軍用ボクサーでも低重心と耐久力で他を威圧する強者だったのだ。
戦後は道路の舗装も進み英国勢がパフォーマンスを発揮、バンク角に左右へ突き出たシリンダーが不利なボクサーは、安定性を武器にツーリングバイクとして独自の進化を遂げていた。
しかし'70年代にホンダCB750フォアを筆頭に、日本勢が大型バイクへと進出、君臨していた英国勢を倒産へと追い込む猛威を振るい、ボクサーも風前の灯火という状況に陥った。

BMWは経営判断として2輪撤退も検討したが、クルマメーカーとして成長したのもバイクからスタートした歴史を踏まえ、辞めるくらいなら創業時と同じに他にない強いオリジナリティで勝負してから考えても遅くない!という結論を得たのだ。
そこで立ちはだかる排気ガス規制の将来を見越して、1,600ccまで排気量を大きくしたボクサーを試作、しかし40PSにも満たない結果にR32以来の水平対向ではなく、水冷DOHC4気筒を横に寝かせたKシリーズを開発、高速ツーリングのパフォーマンスで生き延びる道を見つけることができた。
しかしもういっぽうでBMWに神風が吹いたのだ。
砂漠を突っ走るパリ・ダカールで、日本勢や並みいる強豪にボクサーが後塵を浴びせぶっちぎりで優勝、あのGSシリーズが世界へその名を轟かせたのである。
いまやアドベンチャー系として世界中のニーズを集めるカテゴリーだが、当時はBMW以外に似たものがなくマーケットは独壇場。
ということで、一時は諦めたボクサーの復活が決まり、その第一弾としてリリースされたのがR1100RSだった。




Kシリーズ開発のときは、クルマのエンジニアリングに依存して燃料噴射仕様しか開発していなかったキャリアが功を奏し、Newボクサーは適確なボア×ストロークの4バルブ燃焼室と燃料噴射の組み合わせで、さらに厳しくなる規制への見込みも含めライダーの感性に馴染みやすいレスポンスとトラクションでさすがのポテンシャルを見せていた。
しかしもっと目を見張らせたにはそのシャシー。
エンジンブロックをベースにフロントにはテレスコピックではなく、テレレバーという減速Gと路面の凹凸吸収とを分担対応する仕組みのサスペンションを開発、リヤサスもOHVボクサー時代からシャフト駆動のテールリフトを抑えるパラレバーを装備、そもそも低重心なボクサーの強みを活かしコーナリング中に限度はあれどブレーキングで破綻しにくいという、他のバイクでは到底真似のできないツーリング・ポテンシャルを携えてのデビューだったのだ。


以来、新ボクサーのRシリーズはタンデムでもハンドリングへの影響度が僅かだったり、もともと世界初のABS開発した実績で、万一のフェイルセイフのリカバーも行き届いているなど、ベテランほど旅バイクはBMW一択という流れが出来上がっていった。
そしてRシリーズは1150となり、水冷化で1200、1250と進化、いまやご存じ最新型はDOHCの1300へと昇華、しかもGS系はBMWが生産するモデルで常にトップを維持するという人気ぶり。
BMWのモーターサイクルへの愛情とテクノロジーが並外れているのは、こうした辿ってきた道程なくして語れない、質実剛健となるのが当然の素晴らしさに満ち溢れているのだ。