フラット・トラックのレースにアメリカホンダがチャレンジ!
アメリカにはロードレースとスーパークロスの他に、舗装してない平坦なオーバルコースを競う、フラット・トラック(ダート・トラックともいう)レースも盛んだ。
そもそもは収穫祭など、町村のお祭りでオートバイの腕自慢が集って遊んでいたのがはじまりで、英国では牧草地の滑りやすい草の上で走るグラス・トラックがあり、日本でもギャンブルのひとつでオートレースがあり以前はダート・トラックだったが、街中で埃が舞うのが不評で現在はご存じのように舗装されたオーバル・トラックで競われている。
このアメリカで盛んなフラット・トラックの主役はハーレー。
馴染みのない日本メーカーは競技車輌の経験もなかったが、アメリカ・ホンダは縦置きVツインのCX500を横置きにしてチェーン駆動する大改造をトライ、触発されて日本でもワークスマシンを開発して、このバイクファンが集まるオーバルトラックへ参戦していた。
プロクラスはハーレーなど大型が中心だが、アマチュアは単気筒のオフロードモデルを改装したりが多い。
そんな状況へ1982年、ホンダは新たにベースモデルとして、XL系シングルをオンロード風にアレンジしたFT500/400をリリースしたのだ。
本場アメリカではユーザーが意図を解したが、まだイメージ的にマイノリティで、日本では全く想像もつかないため、ほぼ反応がないまま消え去る運命だった。
タウンユースのオフローダー・スタイル戦略がスタート!
そして1986年、外装もアメリカ・ホンダがフラット・トラックに参戦しているトリコロールカラーと、いかにもなゼッケンプレートについたデザインで、このモータースポーツの紹介とタウンユースに合う仕様ということで、FTR250を大々的にアピールしたのだ。
仕様は2種類、キック始動とキックアームのないセル始動で、マフラー後端がメッキされているか否かで区別がついた。
タイヤもダート・トラック専用パターンと、見た目も本格派。
ライバルメーカーからはオフ系シングルをベースに、トレッキングをイメージしたフレンドリーなタウンユース・バイクが流行り出していたのに対抗する目的もあったが、日本ではフラット・トラックの普及はなく、ホンダの思惑とは一致せず暫くするとユーザーの興味も失せてしまっていた。
トラッカー・スタイルをカルチャーとしてパッケージ!
そんな過去も忘れた頃の2000年、ホンダは再びフラット・トラックをイメージさせるFTRをリリース。
1997年にオープンした「ツインリンクもてぎ」にもオーバルのダートコースも開設、馴染みのなかったフラット・トラックも実際のシーンを観られるようになった(2012年に閉鎖)。
エンジンは223ccで5,000rpm以下の常用息にトルクフルな特性を与えた、コンパクトで軽量なシティ・ビークルとして投入したのだ。
外装のイメージは1986年当時のほぼそのまま。
そしてグラフィックも様々選べるよう、バリエーションも数多く揃えた。
カラーリングの振り幅も大きく、万人向けといえるイメージを特定しない展開も、ホンダならではの思い切った施策といえる。
エントリーバイクに選ばれやすいとの思惑通り、2008年まで継続生産されたのだ。
エンジンやフロントフォークに、マグネシウム色をペイントした限定モデルもリリース、種類の多い機種という展開が続いていた。
2007年にもマイナーチェンジモデルを発表、これがFTR最後のモデルとなり、先代から数えると22年間もの長い間、ホンダだけがチャレンジしたカテゴリーも終焉を迎えたのだった。