デビュー時は2スト125で敵ナシ状態!

1982年のヤマハRZ125が生んだムーブメントは、高速道路へ入れないマイナーな125スポーツだったのを、2ストの水冷化で通勤通学だけでなくレースへ興じる層が加わり、生産台数が稼げるクラスとしてNewモデルが投入されるようになった。
そのRZ125を真っ向から叩きにいったのがカワサキのAR125。


世界チャンピオンを獲得した、お得意ロータリーバルブ吸気にリードバルブを加えたRRISで、中速域から段違いにトルキーだった強みをさらに低回転域までワイドな力強さを得た水冷2ストの最強22PSパワーユニットで、向かうところ敵ナシの活躍ぶりだった。


しかし、それを黙って見過ごさないのが当時のホンダ。
MBX125で同じ22PSを排気デバイスのATAC装着で、ウルトラパワフルなパフォーマンスで瞬く間にすべてを圧倒してみせた。
しかしカワサキはこのタイミングから、250cc以上で人気だったカワサキのGPz系にイメージを変え、ツーリングを好むライダーへと矛先を変えたのだ。
1986年にはフルカウルのAR125Sがラインナップされ、レプリカ路線とは一線を画したカテゴリーへと変身を遂げていた。
ボア×ストロークが55mm×51.8mmの123cc、22ps/9,500rpm、1.7kgm/9,000rpmで、車重120kgとホイールベース1,300mmのコンパクトさは120km/hで突っ走るワインディングの覇者のイメージで販売台数を稼いでいた。



とはいえ国内需要には限りがあり、1990年には生産に終止符が打たれたが、東南アジアで俄然需要が急成長、タイカワサキからAR150やKR150などが派生モデルとして継続されKX125ベースにモデルチェンジされる2000年代まで増産され続けていたのだ。