新作CB750K内覧でヨーロッパのトレンドを強く要求され追加した「F」デザインが世界中で大ヒット!

1969年にリリースされた、量産車では世界初の4気筒、CB750FOURから10年が経とうとしていた1978年、ホンダは久しぶりのビッグバイク勝負球に自信を漲らせていた。
そのCB750Kをヨーロッパのディーラーへ内覧したところ、ヨーロッパは24時間耐久レースなどの影響でカフェレーサースタイルがトレンド、こんなアメリカ人好みのアップライトなフォルムなどあり得ない!と全面否定されたのだ。
そもそも耐久レース覇者だったホンダは、前傾姿勢で燃料タンクの長いステップ位置が後退したポジション設定に変更、そうと決まればと躊躇なく「F」のデザインが決まり、走りのコンセプトまで一気に組み立てられていった。




このオリジナルデザインは、後にアメリカ市場で同じグラフィックが展開されるなど、ライバルメーカーにはなかった後退したステップが主流を占めるようになった。
ホンダは四輪の排ガス規制マスキー法に全社をあげて取り組むため二輪開発を控えていた時期、ファンへのパフォーマンス・イメージを維持するため24時間耐久レースへ、CB750FOURをベースにDOHC化したワークスマシンのRCBをエントリー、ホンダ強しの牙城を守っていた。
そのRCBエンジンを踏襲したDOHC4気筒に、絶対の信頼が寄せられたのはいうまでもない。
気筒あたり4バルブの計16バルブ、実績あるレイアウトとRCBを彷彿とさせる冷却フィンのデザインに、待ちかねていたホンダファンは驚喜した。



そして「F」の燃料タンクからサイドカバーへ流れるような一体化したデザインと、テールカウルが後端でちょっと持ち上がったフォルムは憧れの的となった。
さらにグラフィックもこれまでとは一線を画したストライプなど、ここに端を発してCB400スーパーフォアに至る半世紀近くもホンダ・ファンの心を繋ぎ止めてきたのだ。




その勢いは、元々大型バイクの市場としては限定的だった日本国内でさえ、年間で8,000~12,000台という400ccクラス並みの販売台数を記録したほど。
世界的にもその熱は24時間耐久レースへと還流し、フレームから車体色を赤に統一するモデルに人気が集中、後にボルドールなど耐久レース開催地の車名も加わる盛り上がりとなった。


CB750Fも1982年モデルでは前輪を19インチから18インチへと、よりコーナリング重視の設定へと進化、カウル付きモデルも国内認可が下りるようになりバリエーションを増やしていたのはご存じの通り。
そして1983年の12月にCBX750Fで、新世代エンジンと共に世代交替するのだが、それまでの「F」イメージが強過ぎCBXが苦戦するほどだった。