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このバイクに注目
SUZUKI
RE5
1974~1976model

スズキRE5のロータリーエンジンを市販まで漕ぎ着けたチャレンジ魂!【このバイクに注目】

Photos:
スズキ

日本メーカーで市販化したのはスズキだけ!

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1970年代初期は世界的にロータリーエンジンに注目が集まっていた。クルマではご存じマツダが意欲的に取り組んでいたが、2輪メーカーもホンダヤマハカワサキが試作車まで開発、ヤマハは1972年の東京モーターショーにRZ201の実車を展示、時代の到来を予感させていた。

そして早くからこのロータリーエンジンの生みの親、ドイツのNSUヴァンケル社から特許契約を結んでいたスズキが、1974年に市販車としてRE5をリリースしたのだ。

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ロータリーエンジンは、通常のエンジンのようにピストンが上下動してクランクシャフトで回転運動へ変換されるのに対し、おむすび形のピストンが長円に近いハウジングの中を回転しながら吸気・圧縮・燃焼・排気を行う回転運動のみで、振動や機械ロスがない理想的なエンジン構想として期待された。

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スズキが開発したのはシングルローターで497cc(日本国内では750ccを超えると販売できない制限があったがロータリーは倍?に換算され認可されてない)で、 62ps/6,500rpmと7.6kgm/3,500rpmのほぼナナハンのスペック。
おむすび・ピストンが回転するハウジングは外壁を水冷、半ば燃焼室ともなる内側のピストンは油冷という複雑な冷却方式だった。
その高温ぶりを象徴していたのが、マフラー前端にエキゾーストからのジョイント部分のエアインテーク。夕刻になると真っ赤に見えるほど高温で、走行中の冷却を必要としていたからだ。

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そして車体デザインは、何とイタリアのカーデザイナーであるジウジアーロへ依頼、茶筒と呼ばれたメーターユニットが、IGNキーを捻るとパカッと透明カバーが開く革新的イメージを漂わせた佇まいを見せていた(1976年モデルからは一般的な2連メーターに換装)。

未来のエンジンとしてロータリー製造専用ラインまで用意したものの世界は見放した……

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2輪のロータリー車は、スズキよりひと足早くお膝元のドイツからハーキュレスから登場していたが、発表を急いだあまり実用化が後追いした問題作で、量産車としてはスズキのRE5が実質世界初となっていた。

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市販が開始された世界のマーケットでは、謳い文句通りに振動もなくスムーズなことから大型ツーリングスポーツとして相応しいという評価が多かったが、ロータリーでは問題になりやすい熱問題、さらにはピストンのエイペックスシール(圧縮や排気など圧力シールするおむすびの先端)が摩耗やカジリなどいくつか根本的なトラブルを生じる頻度が高く、燃費も悪かったこともあり世間的な信頼を得るまでには至らず、2年間の製造期間を終了するハメに陥った。

スズキは2輪メーカーで唯一ロータリーエンジンの生産設備まで用意、本格的なロータリー時代に備えるチカラの入れようだったが、こうした何でも取り組んだら独自のノウハウを見出し、それをオリジナリティの強みとする姿勢はさすがというほかない。
このロータリーでも内部で油冷を工夫するなど、先々に実用化したオイルを冷却に工夫する兆しも既に存在していたからだ。
リスクに動じないメーカーとしては日本でいちばんという位置づけなのは間違いない。