ホンダは'60年代に入るとマン島T.T.レースへの挑戦から、世界戦略として250ccのCB72でアメリカをはじめ海外でスーパースポーツ・モデルでの進出を開始した。
続くヤマハも'64年に250ccで世界GPタイトル獲得の勢いで、アメリカへYDS3で攻勢をかけていた。
当時スズキは世界GPだと50ccに125ccと小排気量が主戦場。
しかし海外では250cc以上が、趣味のスーパースポーツのため1965年とやや遅れてご覧のT20でアメリカの250cc市場へ参入したのだ。
ホンダのCB72は、250ccながら英国500ccクラスト同等の加速やトップスピードが売りで、注目を浴び一気に人気車種となっていった。
ヤマハも2ストロークで初の分離給油と、オイルをガソリンに混合して給油する手間を省いたクリーンで高性能なイメージで追送。
そうなると、後発のスズキは先ずスペックで先行2機種を凌ぐ必要があった。
市販車で初の6速ミッション、
分離給油もクランクシャフト圧送のハイメカ搭載!
そこでスズキが投入したのが、市販車では5速が最多段ミッションだったのを、初の6速ミッションの搭載だった。
そもそも50ccでは14速、125ccでも12速と、とてつもない多段ミッションで高回転のピーキーなハイパーエンジンを駆使していたメーカーだけに、この多段ミッションはモータースポーツに詳しいファンには刺さる武器。
ニックネームもX6 Hustlerと、6速をアピールしていた。
さらにこれも日本製市販車では初のアルミシリンダーを採用。またスズキとしては市販車で初のクレードル型のパイプフレームで、これもGPマシンからのフィードバックだ。
そして同じ2ストロークのヤマハを凌ぐメカニズムとして、オイルを分離給油とするだけでなく、それを吸気ポートではなくクランクシャフトへ圧送、コンロッドのビッグエンド・ベアリングを潤滑してシリンダー&ピストン壁へ至る経路と、2気筒のセンターベアリングはミッションオイルを循環させる、CCI方式のまさにGPマシン直系のハイメカ搭載としたのだ。
空冷ツインで大排気量へチャレンジ!
ボア×ストロークは54mm×54mmのスクエアと呼ばれる定評の組み合わせ。
最高出力は25ps/8,000rpmと、リッターあたり100psの当時は頂点パフォーマンスで、最高速度は160km/hとビッグバイクに肩を並べるパフォーマンスを誇っていた。
熱狂的なバイクファンで知られるスティーブ・マックウィーンへ、世界GPマシンと同じカラーリングのレーサータイプをプレゼントするなど、世界の注目を浴びる販促も積極的だったが、タイミング的にスーパースポーツ熱が一段落してスクランブラータイプが街乗りで人気となり、スズキも1967年にTC250で対応。
そしてホンダもヤマハも250ccを排気量アップした305ccへ主力を移し、ビッグバイクの英国勢も500ccから650ccへと、世界は排気量アップが時代の趨勢となっていった。
スズキは1968年に500cc2気筒のT500で、日本勢で先行する側へとチャレンジを加速していったのだ。