スクランブラーからオフロード専用の、
単気筒モデルを機能からデザイン
ヤマハ DT-1 1968年
アメリカで’60年代はじめから流行りはじめたスクランブラーモデル。ちょっと道を外れたオフロードで遊べるよう、マフラーが地面と擦らないよう車体横へたくし上げた配置、前輪に後輪と同じブロックパターンのタイヤを履き、ハンドルがジャンプの衝撃で曲がらないよう左右をブリッジで結んだ一連のスタイルが確立されていた。
これがいつしかヒルクライムのような腕試し的に集まりはじめ、スペインのOSSAやMONTESAなど超マイノリティな競技車輌まで登場するようになった。
そこに目をつけたのがヤマハ。当時はモトクロスもまだ2気筒スポーツのエンジンだったが、オフロードに魅了される人口増加を直感、単気筒モトクロッサーを開発したのだった。
このモトクロッサーに端を発し、アメリカのオフロード・シーンにフィットさせるため、軽量でサイドアップマフラーまで薄くした超スリムな機能を最優先したデザインで構成、2ストローク250cc単気筒のDT-1をデビューさせたのだ。
車重は112kg、18.5PS/6,000rpm、2.3kgf-m/5,000rpmと中速域重視。
日本ではオフロードというとモトクロス場になってしまうこともあり、スクランブラーでもなくヤマハは独自に「トレール」と呼ぶカテゴリーの普及につとめた。
一躍オフロードブームへと急展開、
モトクロス人口も世界で爆発的に増加した
ヤマハ DT-1 1968年
ヤマハ AT-1 1969年
そしてマーケットとしてそこまで大きくないだろうとの予想に反し、DT-1はアメリカから日本国内まで、瞬く間に品不足に陥りヤマハのドル箱機種となったのだ。
当時は白いタンクは珍しく、繊細さを表すピンストライプなど、塗装工程に凝りデザインの良さをアピール、1968年のグッドデザイン賞も獲得している。
このトレールブームも、トレール教室が日本全国で展開されるなど、ヤマハが火付け役となってモトクロス熱と共にオフロードの世界に各メーカーも参入、アメリカでは市販モトクロッサーが大きなビジネスへと発展することとなった。
日本では250ccがオフロード車としては大きく重い車格になるため、125ccのAT-1が1969年から生産されている。
懐かしいミニトレも登場、
ひとつのカルチャーにまで浸透していった
ヤマハ RT-1 1970年
ヤマハ GT50 1972年
DTシリーズはその後さらに排気量を360ccまで拡大したRT-1が加わり、中間排気量の高速道路も走れる175ccのCT-1とラインナップも充実。
そして旧くからのファンには懐かしい、14インチと小径タイヤで車体デザインをそのまま縮小したようなGT50/80の愛称ミニトレール(ミニトレ)が、空前のオフロードブームを反映して大ヒットとなるのだった。