スクランブラーのセンターアップ・マフラーも両振り分けから左サイドアップへ束ねるスタイリッシュ手法!

1959年に海外への輸出を目指し、マン島T.T.レースへの挑戦をスタートしたホンダ。
初のスポーツバイク、CB72(1960年、250ccOHC2気筒)で世界GP制覇の勢いを予見していたかのように世界のマーケットへ踊りでるや、当時のスポーツバイクで頂点の存在だった英国製OHV2気筒500ccと同等の性能を、遥かに安く手に入れらると欧米市場に衝撃を与えたのだ。
東京オリンピックと東海道新幹線が1964年だったので、ホンダがいかにブッ飛んだメーカーだったのか、おわかりになると思う。
絶好調だったCB72は、排気量を305ccまでアップしたCB77とした後に、ホンダはいよいよ最大のスポーツバイク・マーケットのアメリカで、トライアンフやBSAにノートンなど英国勢に肩を並べるビッグバイクにチャレンジ、それが1965年にリリースしたホンダ初のDOHCツインのCB450だった。


当時のスポーツバイクはOHVエンジンが主流で、CB72でさえレーシングマシン並みにカムシャフトがシリンダーヘッドの上にあるOHCを搭載するのは異例で、ホンダは大型バイクの牙城を凌駕するため生粋のGPマシンでしか見ることのできなかったDOHC、カムシャフトが吸気側と排気側専用で2本ある、ダブル・オーバー・ヘッド・カムシャフトを搭載することにしたのだ。
実はそのDOHCにはさらなる仕掛けがあった。
CB450のDOHCにはバルブを引き上げておくコイルスプリングがない。
どうやってバルブを閉じているかというと、トーションバーという金属の棒をひねってセットし、このひねられた金属棒の戻ろうとする反力をバネとして利用して、高回転時にバルブが振動で往復動作が追いつかなくなるバルブ・サージングを防ごうというのだ。



英国製500~650ccバーチカル(直立)ツインと肩を並べるどころか、楽々と抜き去るパフォーマンスのCB450……もちろんヨーロッパからアメリカまで、大型バイクファンからは注目を集めたがホンダが期待したほどの反響ではなかった。
それは世界のスポーツバイクファンは、必ずしも最高速度だけを楽しむのではなく、気が向けば舗装路を外れたり街中を気軽に流したり、スポーツバイクを楽しむライフスタイルを感じさせるカテゴリーに興味が移行していたからだ。
確かに英国勢もマフラーをセンターアップにしたり、フロントタイヤにリヤのパターンを組み込んだりのスクランブラーと呼ばれる機種に手を染めていた。


思ったらすぐヤルのがホンダのパワー。CB450も2本のエキゾーストをエンジン下からクランクケース上に両側へ振り分けるモデルをリリース。
さらに排気音が乾いて聴こえるマフラー(消音を兼ねた膨張室)が小さく、2本を振り分けず左側へ並べてレイアウトする新しいセンターアップマフラーのスタイルにもいち早く追随した。


この対策が功を奏し、アメリカではホンダが流行に素早く反応する敏感なメーカーとして注目を集めるようになり、瞬く間にアメリカ人のバイクライフ・カルチャーに溶け込んでみせたのだ。
それ以降は順調に販売を伸ばしていきながら、3年後には何と世界で量産車初の4気筒、CB750フォアの発表で世界の王座獲得へと躍進していくのだった。

こうした世界への進出で磨かれたのは、エンジン技術だけではなく、バイクのデザインでも格段の進化があった。
CB450も当初は「クジラ」タンクと呼ばれた前後に長く、しかしスリムな燃料タンクだったが、これを一般的な幅のあるフォルムへ変え、650ccより下に位置するバイクらしくコンパクトさをアピールする戦略とせざるを得なかった。
しかしマーケットのニーズに素早く対応したスクランブラー・デザインでは、英国勢のデザインより新しさや若さを感じられる斬新さと取り組み、着実にライバルを超えていく勢いを身につけていった。
まさに全てがホンダという新進気鋭ぶりが溢れんばかりの、社風そのものを育んでいたのだった。



