海外では250ccより350ccが本命!
1980年、世界中を震撼させたRZ250がリリースされた。排気ガス規制で1970年代中盤を過ぎると軽くてシンプルな高性能という2ストロークの鋭さは削がれるいっぽう。
そんな2ストロークを終わらせることなく、25年の集大成として誰の記憶にも残る最高の2スト・スーパースポーツを世に出そう!この号令でスタートしたのがRZ250プロジェクト。
日本国内では瞬く間に空前の大ヒットとなった。
しかし海外のマーケットでは250ccというカテゴリーは、レース区分では存在しても日本のように車検がないなどの特典はなく、RZは4ストビッグマシンに対抗できるスーパースポーツとして、市販レーサーながら世界GPで活躍するTZ350のイメージをオーバーラップ、RD350LC(LCはLiquid Cool、水冷の意味)として翌1981年からリリースされた。
とくにアメリカでは、次の世代にモデルチェンジした1984年モデルに、世界チャンピオンを獲得したケニー・ロバーツ選手を讃え、イエローのUSヤマハカラーにサインをあしらった限定モデルをリリース、ナナハンキラーとして世界中にその名を轟かせたマシンの追い風となっていた。
カタログではレーシングマシン直結の水冷エンジンやモノクロスサスペンション、YPVSなど最新メカニズム解説!
海外向けモデルの基本スペックは、1984年からの第2世代で64.0×54.0mmの347cc。最大出力は43.5kW(59.1PS)/9,000rpmで、最大トルクが46.5Nm(4.8kgm)8,500rpm。
乾燥重量は145kgと圧倒的に軽量、ホイールベース1,385mmの秀逸ハンドリングで、ワインディングではビッグマシンを尻目に無敵を誇った。
海外向けRD350LCは、国内向けRZ250が世界GPワークスマシンのイメージをオーバーラップさせた白地に赤だったが、ヨーロッパではフランスヤマハのスポンサーだった煙草のゴロワーズカラーがブルーだったので、青ストライプをアレンジしたグラフィックとなり、日本国内でも共通グラフィックとなっていた。
そしてRZ250が3年目にYPVSという可変排気ポートを装備したりフレームも刷新、足回りも次世代仕様としたRZ250Rとしたのと同様、RD350LCも同じスペックへと刷新、グラフィックも新たにカウルもビキニからフルカウルまで、様々な仕様が続々とリリースされた。
日本国内でも同じカラーリングのRZ350がリリースされていたが、襲来してきた4スト400レプリカの波にのまれ目立たない存在だった。
しかし絶妙なハンドリングにぞっこんのライダーが多かっただけに、伝説のマシンとして2ストファンの記憶に深く刻まれている。