ガソリンコックをオンにして、デロルト製キャブレターのティクラーを押すとガソリンの匂いが漂う。右足をキックにかけ圧縮上死点を探る。足応えを感じたところで、キックを力強く踏み下ろす。久しぶりだからなかなか勘がわからない……そうそうべベルはキックのストロークが長いんだった。でもいまのバイクにはないこんな儀式がたまらなく良い。昔のバイクは、走る前からこんな風にバイクとの駆け引きを楽しめる
始動はキックのみ。コツは必要だし、できればプラグを持ち歩いた方がいいかもしれないが、そんな駆け引きもベベルと暮らす楽しみだ
このシルエットに憧れるライダーは多い。最初のSSは1972年の750SSだが、900SSもそのスタイリングを踏襲する
エンジンの爆発感は、現代のバイクにないダイレクトさ
「ズダダダダダッ」まるで機関銃を連射しているかのような連続するエキゾーストノートがコンチマフラーから響く。決して大きな音ではないが、現代のバイクにはない存在感がある。「良い音だねぇ」撮影している長谷川カメラマンも思わず感心するほど。久しぶりのベベル、900SSに心が踊る。ベベルというのはカムシャフトがベベルギヤ駆動だから。その後ドゥカティはベルトでカムシャフトを駆動し、現在はチェーン駆動のモデルもある。それにしても、スロットルを開けるのがこんなに楽しいエンジンは他にないかもしれない。ゾクゾクするほど気持ちが良いのだ。
「伊豆スカイラインによく行きます」とオーナーの菊池さん。この900SSは菊池さんが1981年に登録し(なので1981年式というわけではない)、それ以来のワンオーナー車。年季が入っているディテールはあるがよくメンテナンスされており、とても調子が良い。
「エンジンは4万kmを超えていますが、一度も開けていません。キャリパーはパッドピンの穴が長穴になってしまったので一度変えました。キャブも変えましたね」実は菊池さんは、今回バイクをお借りした横浜のショップ「TIO」の工場長。調子が良いのは当然だ。
迫力の空冷エンジン。ドゥカティはこの時代よりもっと前から現在までLツインエンジンを育み続けている。シリンダーの三角形の蓋の中にはベベルギアが収まる。キャブレターのデロルトの文字の下にある真鍮のスイッチのようなものがティクラー。これを押してガソリンをフロートに送り込む
ドゥカティ=スパルタン。それを決定づける1台
ロー&ロング、そのスタイリングの通り、ポジションはかなりキツい。そして車体やサスペンションはどちらかというと高速寄りの設定だから、街乗りなんかだと決して乗りやすくはない。'00年代からはツアラー系などをリリースし、少しずつ身近になってきたドゥカティだったが、当時はベベルのみ。その後もしばらくは尖ったスーパースポーツしかラインナップしかなかったため、いまのドゥカティからは考えられないかもしれないが、'90年代後半くらいまでは「ドゥカティ=スパルタン」というイメージが定着していた。この900SSは、まさにそれを象徴するようなハンドリングだ。
ビギナーお断りのポジション、超スリムで鋭いハンドリング、上手く曲がれない……、確かに難しいことを考えずに走り出せるいまのドゥカティの感覚だと、走り出すことすらできないだろう。
ただ、実際に乗っていてカーブで決まった(乗りこなせた)時は、他のバイクにない感動があり、その感性に慣れてしまうと他のバイクが曲がらなく感じるほどの痛快さがあるのだ。
これはドゥカティが現在でも多用するLツインエンジンによるもの。幅の狭いエンジンだけが見せるシャープな応答性だ。目一杯後ろに座って前輪が素早くステアする感覚を楽しむ。
そしてこのエンジンは、この年代の他のバイクと比較すると抜群に速い。スペックが見せる数値的な速さでなく、体感的な加速感がとても鋭く、スロットルを開けるとあっという間にスピードが乗っていく印象だ。べベルギア特有の粘り強いトルク感は爆発感がリアルで、振動もなく回転を上げていく。スロットルを大きく開けると、思わずロケットカウルの中に伏せたくなるほどその加速は鋭い。
いま、ベベルは手に入るのだろうか
その佇まいや美しさは他に類を見ないから、「いつかはベベル!」と憧れてる人は多いと思う。しかし、維持するには当然現在のモデルよりもメンテナンスサイクルも短いし、気を使うことも多い。コストだってそれなりにかかる。あとは実際に手に入れてみないとわからないかもしれないが、皆さんが想像しているよりも大柄で重たい。それこそ冒頭で書いたが、キック始動(セル付きエンジンのモデルもある)はコツと体力も必要だ。サイドスタンドがないモデルがほとんど(あってもサイドスタンドでキックするのは厳禁)なので、常にセンタースタンドを立てる体力も必要になってくる。
確かにそれなりの覚悟は必要なのだが、ベベルに乗りたい方はTIOのような専門ショップに相談してみるのが良いと思う。
ダーマなどのセル付きエンジンをベースに900SS風やMHR風、マニアックにスパッジアーリ風などをつくれるし、フルオリジナルにこだわらなければ、乗りやすい身近なベベルを手に入れることは可能だからだ。
また、すでにベベルを所有していて調子が悪い方も相談するのが良いと思う。これはあくまで僕の印象だが、きちんとメンテナンスされていれば、ベベルはキックだけどそれほど始動性が悪い印象はないからだ。「全部やるともちろんコストがかかっちゃうから大変だけど、普通に乗れるようにするのは要所をおさえれば大丈夫」とTIO代表の川瀬さん。
べベルは手放しで誰にでもオススメできるバイクではない。
しかし、頼れるプロが側にいれば別だ。「いつかはベベル!」の夢を「TIO」で叶えてみてはいかがだろう。
市街地を走るような低速域からでも気持ちが良く、エンジンはフリクションを感じさせないままどこまでも回り、スピードをのせて行こうとする。ドゥカティは気持ち良さと速さを、すでにこの時代に両立していた
この900SSにはステンレス製のコンチマフラーが装着されていた。スチール製よりも甲高いが、心地良い音を奏でる
まるで単気筒のバイクのようにスリムだった900SS。ハンドリングを最優先した車体づくりがこの頃から貫かれている。どんなところにあっても絵になるバイクだ