1.シンプルなキャラクターとリッチな面構成、
2.デザイナーの主張を極力抑えた各パーツ類のデザイン、
3.ダークで高級感のあるモノトーンカラーやシンプルなグラフィックが似合うデザイン!
1980年からの10年に満たない短期決戦でメーカーもユーザーも消耗したレプリカブーム。
それはネイキッドのカテゴリー名が誕生した、1989年のカワサキ・ゼファーをきっかけにひとクラス小さな250ccへと飛び火してきた。
ライバルたちと同じように、ホンダも流用エンジンとして最新レプリカの超高回転域で緻密なバルブ駆動のために生まれたカムギヤトレーンを奢ったまま、中低速へ出力特性をチューンしたDOHC16バルブ4気筒を継承、40ps/14,000rpmをスペック表示していた。
そのコンセプトは、1987年にBROSとSPADA、さらに1988年にCB-1でレプリカブームの渦中から模索した経験から「自然体スポーツ」をキーワードに。
具体的には1.シンプルなキャラクターとリッチな面構成、2.デザイナーの主張を極力抑えた各パーツ類のデザイン、3.ダークで高級感のあるモノトーンカラーやシンプルなグラフィックが似合うデザインを標榜。
ということで誕生したJADE、何とホンダ・ロードスポーツの称号であるCBを名乗らないというほど新コンセプトに賭けていたのだ。
お気づきかも知れないが、難しい要求に応えた絶妙なフューエルタンク形状は、1981年に世紀の大ヒットとなったCBX400Fをベースにモノトーンとしたデザインだった。
シンプルに過ぎた?反省から4ヶ月後に赤い車体色を追加!
同じようにシンプルなコンセプトで登場したライバルのカワサキのBALIUSよりも、さらにスポーツ性を感じさせないよう意識?させた結果、JADEは暫くユーザーもどのように捉えたものか、躊躇したような時間が過ぎ、いまひとつ人気が出ずじまい。
その反応の薄さから「赤い」スポーツ性を感じさせる車体色を4ヶ月後に加えるほど、シンプル過ぎたコンセプトへの修正がはじまったのだ。
モノトーンをツートンに、エンジンもダーク塗装、
そしてシンプルさの強調へ逆戻り……
その反省から翌1992年モデルからタンクやサイドカバーを塗り分けたツートンとしたり、エンジンもスポーツ性を強調すると思われていたダークな塗装へと変更された。
メーターも2連のタコメーターを含め大径化するなど、クオリティアップもアピールしていた。
しかしこうしたかなりのイメージチェンジにもマーケットは反応せず、むしろ迷走で渾沌とした様子がイメージダウンに繋がると判断。
翌年の1993年モデルでは、シンプルなコンセプトへ戻し、燃料タンクのHONDAロゴよりもJADEの車名ロゴのほうを大きくして、割り切った雰囲気を醸し出していたのが忘れられない。
とはいえ初期型の生産台数もあって、現在も中古車市場でみかけることの多いJADE。
なかにはそのタンク形状からCBX400Fのグラフィックへ全塗装するユーザーもいて、250ccではニーズのある機種として生き残っている。