200km/h超クルージングで増える事故にホンダが意識した危機感!
ホンダが1980年代のHY戦争突入で懐刀として切り札だったV型4気筒。
GPマシンNR500をきっかけに、V型4気筒が耐久レースからF750まで世界のレースを無敵イメージに席巻するいっぽうで、ホンダはヨーロッパで増えていたアウトバーンをはじめとする高速道路の大型バイク事故を危惧していた。
1982年3月、ホンダは初のV4(ヴイフォー)を搭載したVF750SABREとアメリカンのVF750MAGNAをリリース、続いて12月にV4をスーパースポーツ仕様としたVF400FとVF750Fを発表した。
2気筒並みにナロウなエンジン幅とV型90°で振動の少ないポテンシャルは、最強エンジンとしてレース投入で開発がさらに進み、他を圧倒する次世代スーパーマシンをリリースするタイミングが間近だった。
ワークスマシンRVF750からフィードバックされたカムギヤトレーンのV4、アルミのツインチューブフレーム……。
このスペックから超レーシーなマシンがイメージできるが、ホンダが発表したVFR750Fはジェントルなボディを纏った「大人」を意識させるフォルム。
大型バイクの高速道路での事故急増で、社会的立場を持つリーダーたちの間にスポーツバイクのライダーであることを内密にしたくなる風潮が漂いはじめたのに対し、ホンダはこのイメージの払拭をトップエンドの最新モデルのコンセプトとしたのだ。
ハイパーマシンのTOPスピード競争エスカレート寸前の静けさだった……
105ps/10,500rpm以上、最大トルク7.6kg-m/8,500rpm(DIN)のパフォーマンスと、ワークスマシンと同じ180度クランクの採用で、爆発間隔を180°→ 270°→ 180°→ 90°の不等間隔によるトラクション・グリップ増大、さらに1990年モデルからの片持ちスイングアームと内容的には紛う事無きレーシングマシンのレプリカだったが、ジェントルな風貌で、少なくとも世間からの批判を増やすことはなかった。
そしてこの後の1990年代へと続いた300km/h超のフラッグシップ・ブームでも、ルックスは空力特性を優先する滑らかな曲面を多用、いかにも鋭い刺激を感じさせるフォルムは避けている。
しかしホンダのVFR750Fは、このジェントルなルックスが強烈なインパクトを好む層には受け容れられず、評価がされにくかったのは事実。
危機感を放置せず、積極的に方向を定めたホンダの英断はさすがということになる。
ただジェントルなルックスでも、実力の高いハイパーエンジンと軽快で優れたハンドリングなど、オーナーたちは格段に高い醍醐味を味わっていた。
そしてこのVFR750Fの後に続いたRC30(VFR750R)をはじめ、ハイパーマシン開発に一点の迷いもなく展開されていったのはご存じの通りだ。