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このバイクに注目
HONDA
CB500 FOUR
1971model

ホンダが初めてジェントルライダーをアピールした4気筒スーパースポーツCB500フォア【このバイクに注目】

’69年のCB750フォアに続いた4気筒攻勢

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DREAM CB500 FOUR 1971年

世界初の量産4気筒スーパースポーツ、CB750フォアが衝撃のデビューを果たしたのが1969年。
世界GP撤退直後で、これを契機に日本車がまだ君臨していなかった大型バイクのマーケットを制覇していったのはご存じのとおり。
しかし世界のファンは、この新たに750ccというフラッグシップの頂点クラスが誕生したのに続き、500ccと350ccのクラスにも4気筒スーパースポーツが居並ぶとは想像もしていなかった。

この他のバイクメーカーも予想していなかった圧倒的な4気筒攻勢の裏には、ホンダの命運を賭けた大きな理由があったのだ。
ホンダはアメリカ市場での乗用車に、マスキー法という当時としては異例な厳しさで全メーカーが実現不可能と反対した排気ガス規制に対し、ひとりクリアしてみせると手を挙げたからだ。

オートバイメーカーとしてスタートしたホンダは、日本で次なるステップとして四輪車の生産をはじめようとしたそのとき、既に乗用車メーカーは数も充分に揃っているので、参入はまかりならんという高い壁を経験していた。
そうした逆境を跳ね飛ばそうと、ホンダは日本の自動車メーカーが考えたことすらなかったF1カーレースにチャレンジ、軽自動車で初のスポーツカーS360をモーターショーに参考出品したものの認可がおりず、そのDOHC4気筒4キャブレター装備のハイパー・エンジンを何と軽トラックT360へ搭載、新たに自動車メーカーとして押しきった経緯があった。

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写真左:1963年にS360用のDOHC4気筒4キャブを搭載した軽トラックT360を発売、どの軽乗用車より最速だった。写真右:軽自動車では叶わなかったスポーツカーをS500として1963年に発売。後輪の駆動はオートバイ同様のチェーンドライブ!

そんなホンダだからこそ、この不可能とされたマスキー法をクリアすることで、アメリカのみならず世界のマーケットへホンダを自動車メーカーとして認めさせるまたとないチャンスと捉えたのだ。

この全社を挙げて取り掛かるビッグプロジェクトに、オートバイ部門を含む全エンジニアの投入が決定され、暫くはスポーツバイクで新型の開発ができないだろうという状況に対し、この間に牙城を守りきれる圧倒的な差をつける機種構成を整えておくのが急務となった。
それがCB750フォアであり、それに続いたこのCB500フォア、そしてCB350フォアだったのだ。

静かなる男のための500というキャッチフレーズ、
世界のリーダーとしてスポーツバイクの歩むべき姿を示唆

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DREAM CB500 FOUR 1971年

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DREAM CB350 FOUR 1972年

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DREAM CB400 FOUR 1974年

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DREAM CB550 FOUR-II 1975年

怒濤の750cc頂点クラスに君臨する4気筒ではなく、贅沢にもその下のクラスも4気筒を投じたCB500フォアは、何と広告キャッチが「静かなる男の500」という、高性能をアピールしない、それまでにない種類のものだった。
実際に498ccから最高出力48ps/9,000rpm、最大トルク4.1kgm/7.500rpmの高出力を稼ぎながら、中速域からワイドな特性として新たな騒音規制への対応も含め、静粛さを強調した製品開発となっていた。

既に海外勢を含め、全メーカーのリーダーといえる位置づけにあったホンダは、4気筒で高性能化していく傍ら、高性能なスーパースポーツに乗るライダーが「オトナ」であるアピールとユーザーへの期待と戒めを込めていた。

この4気筒はジェントル路線が敷かれ、続くCB350フォアでも同様に受け継いだが、排気量が小さくなるほど実際にはツインのほうが活気を感じる走りであったりと、狙いとは裏腹に勢いを削ぐカタチとなってしまった。

そこを払拭したのが、ご存じ名車のCB400フォア。カフェスタイルと共に性能ばかりではないスポーツバイクの魅力を、4気筒で見事に表現されていた。
同時に中間排気量のクラスもニースが高まってきて、CB550フォアIIという実力派であるのが漂うデザインと仕様へ進化していった。
こうして600ccに代表される中間排気量のクラスが、実質的な実力派揃いという位置づけが徐々に定着していくことになったのだ。