まさかの250ccDOHC4気筒化で後れをとったホンダはレーステクノロジー直結のカムギア投入で対抗!!
1960年代の世界GPを、125ccの5気筒や250ccでは6気筒という超高回転・多気筒化で他を凌駕したホンダ。
そしてリリースした世界初の量産4気筒CB750フォアは、世界トップメーカーのイメージを象徴する存在だった。
その後もCB350フォア、CB500フォア、そしてご存じCB400フォアとリードし続けるホンダに、ライバルとなった日本メーカーも4気筒化を追随していった。
ところが1983年、4スト化で最後発だったスズキから、250ccクラス4気筒では初のDOHCとなるGS250FWがリリースされたのだ。
続いて1985年には、ヤマハから同じDOHCでも気筒あたり4バルブのFZ250 PHAZERがリリースされ、なぜホンダは手をこまねいて傍観を決め込んでいるのだといった、ホンダ・ファンからの厳しい視線が注がれていた。
世界のスポーツバイクをマルチ(多気筒)化の波に巻き込んだホンダ。
1959年の世界進出の前に出場した浅間火山レースでも、RC160と呼ぶ250cc4気筒マシンだった。マン島T.T.をはじめ世界GPで瞬く間に頂点へと立った1961年のRC161も250ccながらDOHC4気筒。
そしてそこには燃焼室の上にあるカムシャフトを駆動するのに、常識的なチェーンではなくRC160はベベルギア駆動、RC161ではカムギア駆動という、超々高回転域でもバルブがピストンと衝突しないよう、正確なバルブ・タイミングが刻める必殺メカニズムが搭載されていたのだ。
DOHC4気筒、DOHC16バルブとハイメカを象徴するメカニズムを、市販スポーツで先にリリースされてしまったホンダとしては、このレーシングマシン直結のカムギア駆動を搭載することで、マルチ先駆者としての意地をみせるしかない。
ということで、1986年にリリースしたCBR250 FOURは量産市販車で初のカムギアトレーンとなった。
チェーンのかわりにギア連結で駆動するカムギアトレーンには、お互いのギヤの歯が噛み合う箇所で、僅かとはいえクリアランスを与えて歯と歯が滑り込んでいく滑らかさを得ている。
しかし、このクリアランスはバルブの開け閉めで、タイミングを狂わすリスクもある。
そこで各ギヤは薄い補助ギヤの歯をセット、これをバネでひと山ほどズラしておくことで、噛み込んだ状態でクリアランスをゼロにできる仕組みを搭載した。
このおかげで正確なタイミングもさることながら、高回転時のギヤ唸りを抑える大きなメリットも得ることとなった。
見た目にもチェーン駆動よりシンプルなイメージのカムギアトレーンだが、実は内部に緻密で凝った仕掛けが込められているのだ。
20,000rpmの悲鳴に近い高周波エキゾーストノートとギアトレーンのサウンドでホンダの面目躍如!
CBR250 FOURのスペックは、最高出力45P/14,500rpm。
レッドゾーンは17,000rpmと、市販車の常識を遥かに超えたレベルに設定され、ライダーはほぼ金切り声といった刺激的なサウンドを楽しむことができた。
その4気筒DOHC16バルブの高度な構成は、クロームモリブデン浸炭コンロッドを採用するなど、往復運動部品の軽量化を徹底して追求。
また4連キャブレターから燃焼室までの吸気経路をほぼ一直線とした設計や、大径弁の採用とあいまって高い吸・排気効率を実現、低回転域から高回転域まで、どの回転域でも俊敏で応答性にすぐれスポーツ走行に適したエンジンを誇っていた。
そして翌年には車名をCBR250Rと変更した、フルカウルを纏いレッドゾーンを何と18,000rpmまで高めたハリケーンのペットネームが与えられだモデルとなった。
こうして先行されたライバルの4気筒勢を凌ぐパフォーマンスで他を圧倒し続け、さらにその差を決定的にすべく、CBR250RRとまさにレーサーレプリカ全盛期の仕様へとエスカレートしていった。
ただレーシングマシン的な高度化より、スーパースポーツとした佇まいを含めハーフカウル時代のCBR250 FOURの人気が高く、暫く併売されていた時期もあって、ちょうど良い按配とは、まさにそのあたりだったのをあらためて認識させられている。