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このバイクに注目
YAMAHA
FZR400RR
1989~1994model

FZR400RRのレプリカ最終章に注ぎ込んだ集大成とヤマハ・ハンドリングの意地!

初代FZ400の根強い人気とピュアレーシーなFZR400Rが目指した着地点

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全日本ロードレースのF3覇権争いなど、熱を帯びていた400ccレーサーレプリカも、1990年あたりを境に勢いを失いはじめていた。
しかし各メーカーの開発競争は、ピークを過ぎても進化の度合いが鈍ることはなく、むしろそれまで抑えていた面も含め、ありったけを注ぎ込むほど。

その典型でもあったのが、ヤマハのFZR400RR。
最後を飾るに相応しい、高次元なコンセプトとコンポーネンツの塊りだったからだ。

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実はヤマハの400レプリカの扉を開いた1984年のFZ400は、それほどレーシーな仕様ではなかった。
ところがこの本モノのレーシングマシンとは距離のある仕様がファンの心を掴み、ヤマハのスーパースポーツ史上ライバルに大差をつけた最初のモデル。

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ライバルたちが逆転を賭け、より高度な仕様で挑んできたのに対抗して、ヤマハも1986年にFZR400、続くFZR400RRと開発競争に負けじと高次元マシンを投入していた。
しかし状況はFZ400のような独り勝ちを許してはくれない。

ブーム終焉にどうせならレース活動の成果を注ぎ込む本音を残そう!

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そんな流れの中、1988年のF3クラスのワークスマシンをベースにさらなるピュアマシン開発の決断が下った。
その決意のほどは、TZR250開発のときYZR500の開発エンジニアによる設計だったように、YZRやYZFのワークス開発陣との作業というトップエンドのプロジェクトとなったのだ。

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そのひとつの象徴がデルタBOXフレーム。 もともと世界チャンピオンマシン、YZR500の開発プロセスで誕生したデルタBOXフレームは、アルミ鋼板の立体成型を目論んで強弱の配分を考えて考案された、ある意味モノコック発想に近い開発意図。

見た目にアルミ引き抜き鋼材、つまり長方形断面のチューブを曲げて成形した、いわゆるツインチューブに似ていたが、そもそも狙いからして異なっていた。
そこでYZRやYZFのように、アルミ鋼板を複雑に多面構成した、量産には向いていない手間をかけても、これまでと違いダウンチューブのない、エンジン本体を強度メンバーとした狙い通りのフォルムを完成させたのだ。

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エンジンも当然ながら全てを見直し、トータルでエンジンサイズがコンパクト化されたり、前モデルから投入したワークスマシン開発からフィードバックした、排気の背圧を回転域で変化させるEXUPもより進化させていた。
さらに初のプロジェクター・ヘッドライトの採用など、その仕様の豪華さは半端なかった。

鋭さや軽快性に惑わされない安心安定のヤマハ・ハンドリングを復活!

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さらに決定的な大英断も下されていた。
それはハンドリング。

ヤマハはレーサーレプリカ時代が到来する前、高いスポーツ度の俗にいうスーパースポーツ開発で、鋭さや軽快性より安定性を優先させていた。
曰くどんなにパフォーマンスが高かろうが、ユーザーが使用するのはツーリング
そこでの安心感や安定性こそ、ライダーに必要だというフィロソフィからだ。

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ヤマハはレースの世界でもこれを優先していて、世界チャンピオンでも急に特性が変化するような状態では、思いきりコーナーを攻めることはできない……安心感がベースにあるからこそ、安定した結果を積み上げられるという実績を積んできたからだ。

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しかしライバルメーカーがクイックで刺激の強いハンドリングを、レプリカ系の魅力とする傾向にあった。
ヤマハのレプリカは鈍いレスポンスで、闘うマシンではないという評価もあって、さすがのヤマハも市販車では鋭さへ舵を切りはじめていたのだ。

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しかしこのFZR400RR(3TJ)では、本来のコンセプトを貫こうというレーシングマシン開発陣からの意向を尊重、あらためてヤマハ・ハンドリングの優位さを立証しようということになった。

そしてラストモデルとして、1994年に専用グラフィックを施したSPモデルが500台限定で生産された。
レーシングマシンと良質なスーパースポーツは、ハンドリングのコンセプトを共有できるという信念を貫いてみせたのだ。
この重みのある決断、レプリカ時代の終焉にみせたヤマハらしさは感動モノだった。