どうしても他に追随したような4気筒は避けたい……そのオリジナリティにこだわるヤマハが乗り越えなければならない壁は容易くなかった!


ヤマハは1970年に英国調のSOHC650ccツインのXS1で、4ストローク化とビッグバイクへの挑戦を開始。
続いて1972年、さらに大きな排気量を狙って前傾ツインのTX750、さらには超高回転化でかっ飛ぶイメージのTX500(DOHCで気筒あたり4バルブ×2=8バルブ)を1973年に投入した。
そして4弾目にツインではなく、この3気筒DOHCでシャフトドライブのGX750を1976年にリリース。
いうまでもなく、ホンダやカワサキの4気筒勢に追随せず、ヤマハのオリジナリティとして3気筒を選んだのだ。



しかし他にないオリジナリティを大切にする構想は、これまで経験のない並列3気筒とシャフトドライブというふたつの大きな課題が立ちはだかり、その開発は容易いモノではなかった。
まず3気筒は240°(クランク位相ではなく4ストの行程サイクル)で、そもそもバランスが良く振動のない素性だが、それはピストンが往復する縦方向の振動に対してで、横方向となるとシリンダーの間隔を均等に並べないと震えるような強い応力が発生する。
そこでDOHCのカムチェーンを左端に配置、パワーを伝える1次減速をハイボチェーンとする構成へ辿りつき、エンジンの下部を支えて上部にはエンジンハンガーを持たないマウント方式とする(空吹かしするとシリンダーヘッドが振動するのが目視できる)など、初めてならではの困難と取り組み解決していた。
またシャフトドライブも、テスト中に駆動のON・OFFでシャフトのジョイントが破断するトラブルが頻発、リリースまで残された期間があまりに短いため仕方なく経験豊富なメーカーのパーツを製造していたドイツのメーカーへ発注する非常手段がとられ、1976年のデビューに間に合わせたのだ。

さらには輸出向けに前後ホイールを、スポークではないアルミ鋳造のいわゆるキャストホイール仕様も、初のチャレンジとして取り組んでいた。
こうして満を持してリリースした新感覚の3気筒とシャフトドライブだったが、既にマーケットを支配していた4気筒を唯一無二と称賛する大きな流れを崩すことはできなかった。
翌年の1977年には3inti1で右側1本マフラーへ集合していた配列を、左右2本へ振り分け左から見てもマフラーがある外観として、このマフラー容量の増加で出力もアップしたが、目立った効果は見られず苦戦が続いていた。



そこでヤマハは1977年、さらに大型のフラッグシップとして、このGX750にもう1気筒を加えた4気筒のXS1100を投入、GX750はキャストホイールが標準のXS750へと名称を変えていた。
そして1980年、3気筒はXS850へと進化したが、併行してXJ400〜750の新たな4気筒ラインナップと、VツインのXV750にXV1000で幅の広い選択肢で世界のマーケットへ対応する戦略が展開されたのだ。

いまではヤマハのアイデンティティにもなっている3気筒エンジンは、かつてこの難題を乗り越え培った様々なノウハウを積み上げてきたのを忘れるわけにはいかない。
ライバルへの真似というか追随にみられることを極端に嫌ったヤマハのアイデンティティは、レプリカブームの渦中でも2スト250で後方排気など見るからに独自のチャレンジをアピールして、HY戦争と呼ばれた激突を繰り返していた。



