ヤマハのレーサー共通のロングタンクが誇らしげなハイグレード!

ヤマハは1969年、50ccにもロングタンクとシートカウルを装着した、初のロードゴーイングレーサー(カフェレーサー)をリリースして以来、1972年にもFX50がやはりロングタンクにシートカウルで登場、徐々にグレードの高いコンセプトで一線を画したスポーツ路線を構築していた。
実は水面下で1969年からの世界GP新レギュレーション、気筒数やミッションの段数に制限がなかったのを50ccは単気筒で6速、125ccと250ccは2気筒、350ccと500ccが4気筒までに制限したレースがはじまるタイミングで、ヤマハは50cc水冷単気筒マシンを開発していたのだ。
ただ実戦には投入されずYZR50(形式名RF302)は日の目を見なかったが、FS-1から1974年の初代RD50では共通してロングタンクとシートカウルのフォルムを踏襲していた。



ちょうどその頃、スポーツバイクはホイールをスポークからキャストホイールへ進化がはじまったタイミング、たださすがに50ccクラスには過剰だろうとする判断が一般的だったが、ヤマハは50ccのRD50にもSPモデルを新設、オトナ向けを意識したフィニッシュと共に50ccでは高額な¥143,000という価格設定だった。



40mm×39.7mmの49ccはピストンリードバルブ吸入方式で、6.3PS/9,500rpmと最大トルク0.50kgm/8,500rpmで74kgの乾燥重量がそのスペック。
その佇まいは、50ccといえば高校生の通学がメインという使われ方の想定ではなく、オトナが粋に乗りこなしたいと思わせるクオリティ感が漂っていた。

当時はまだ水冷化もはじまっていなかったが、2年後にはRZ250がデビューして2ストスポーツは一気にレプリカ時代を迎えた。ちょうどその過渡期でもあったので、RD50は輸出向けでRD250LC(RZ250の輸出名)と同じグラフィックのRD50が用意され、50ccでもれっきとした本格的スポーツバイクとしての位置づけが定着していった