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このバイクに注目
YAMAHA
RZ250R
1986model

RZ250Rファイナルの熟成度が半端ない!【このバイクに注目】

RZ250の源流はTZR250リリース後も守られていた!

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'70年代終盤にアメリカの排気ガス規制などで終焉が囁かれていた2ストローク
その状況で1980年、完全復活劇を演じたRZ250のセンセーショナル・デビューは、レーサーレプリカ時代を築き4メーカーすべてが2スト250レプリカで覇を競ったのはご存じの通り。
ヤマハは1985年に、YZR500を開発したエンジニアが直接手がけたフルカウルでアルミデルタBOXフレームのTZR250をリリース、しかし1983年から販売したRZ250の熟成度を高めたRZ250Rは継続していた。

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ビキニカウルを装着していたRZ250Rは、よりレーシングマシンに近いTZR250とは一線を画し、街中からツーリングまでの実用性を前提にしたヤマハ・スポーツの基本コンセプトを継承、そのネイキッド(まだ当時はその呼び名はなかった)でさらにベーシックなニーズをカバーするRZ250R(1AR)も加わったのだ。

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RZ250RはYPVSという画期的な可変排気ポートを装備。2ストのピークパワーに勢いはあっても、回転が低い域がいきなり力強さを失う弱点をカバーするため、排気ポートに半月断面の回転する円筒ドラムを設置、高回転まで回さない仕様の位置まで下げた状態から、エンジン回転数を検知してサーボモーターで高回転高出力型のポートタイミングまで徐々に上げていく仕組みだ。
このおかげで扱いやすく且つ速いメリットが大きく、後に他メーカーもこぞって排気ポートを手法を変えながら可変とするようになった。

R1-Zへと繋いだ2ストを代表する傑作マシン!

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TZR250が尖った高性能ではなく、高次元な乗りやすさで好評だったこともあり、RZ250Rはベーシックスなスポーツバイクの良さに関心が薄れる傾向となり、カウルレスのモデルの方を専用に見直すことを決意、1986年にフレームから燃料タンクにシート形状とテールカウル、さらにはハンドル位置からステップまわりまで、こと細かく詰めたフルモデルチェンジ(車名は同じRZ250Rだが形式名1XG)を敢行したのだ。

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乾燥重量は7kgも軽量化され136kg、フレームはシートレール部分で幅を狭め、シート形状の変更と相俟って足つき性を向上、ハンドル位置を手前に10mm、高さで12mm上げ、幅も40mm狭い人車一体感を高めた設定。ニーグリップ部分をナロウにした関係で、燃料タンク容量が20Lから17Lへと減少している。
カラーリングもヤマハの白と赤のツートンに、世界GPでフランスヤマハがスポンサーカラーのゴロワーズ(煙草)パッケージでブルーを基調にしていたグラフィックも用意され、マニアに垂涎のモデルとしてもてはやされていた。
特徴でもあるダブルループクレードルフレームは、メインフレームがシートレールへ伸びる一般的なクレードル(ゆりかご)状ではなく、ステアリングヘッドへ戻ってエンジンを取り囲むループを形成する製造行程が難しい仕様。
この高剛性とアライメントの乗りやすさで、ファンの間でハンドリングに優れた人気モデルとなり、カラーリングにも粋なブラック仕様も加えられた。

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この安定した人気に、ヤマハは前後ホイールを最新サイズの17インチとし、ディスクブレーキもフローティングのハイパフォーマンスマシンと同レベルに高めるマイナーチェンジを施した。
その結果、1990年まで継続モデルとなり同年に登場したR1-Zデビューへの足がかりとなったのだ。

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コーナーを攻めても、早めのアンダーステア気味でライダーの安定感と安心の操作を可能にしていた、いわゆるヤマハ・ハンドリングはこのRZ250Rで熟成を重ねた経緯もあって、いわば完成の域に達していたとの評価も多かった。
数え切れないほどのライダーが、バイクを操る基本を教わり巣立っていった、そんな善き先生となるマシンであったのは間違いない。