FJ1200の空冷4気筒をベースに開発をスタート
しかしビッグネイキッド最後発になるまで時間をかけた

1989年のカワサキ・ゼファーからはじまったネイキッド人気はビッグバイクへ波及、1992年にゼファー1100、続いてホンダCB1000スーパーフォアがデビューした。
ヤマハには1984年からスーパーツーリングモデルとしてヨーロッパへ投入していた、FJ1100の空冷4気筒エンジンが存在していて、翌1985年からはFJ1200へと拡大されていた。
このエンジンをベースにネイキッドを開発するのは容易く思えたのだが、それがなかなか実現せず、登場したのは最後発の1994年となった。

なぜ時間をかけたのか、それは開発コンセプトを絞り込むのに手間取ったからだ。
そこがいかにもヤマハらしいのだが、ライバルたちはビッグネイキッドを大柄で威風堂々としていればイイとわかりやすかったのだが、大柄でも乗りやすいハンドリングとするのはどうすれば良いのか、そこの議論で紆余曲折していたという。







さらにレプリカブームでスポーツバイクのフレームは、アルミの角パイプやデルタボックスフレームなどが続き、久しぶりのスチールパイプによるトラディショナルなダブルクレードルを溶接で組み上げていくキャリアのあるベテランから、新たに現場への再教育を依頼するなど、バイク歴を積んだユーザーから評価が得られるよう準備にも余念がなかった。

そうしたトラディショナルなベーシックスポーツといえど、頂点モデルとしてのクオリティにこだわった結果、リヤサスにオーリンズ製を奢るなど、ファンの心を掴む要素が揃っていた。
しかも中庸をいくデザインながら、細部の美しい曲面などヤマハ・ファンのみならず大人向けを意識させたことも人気に火をつけた。

デビュー当時、最大排気量だった1,188ccで97PS/8,000rpm、9.3kg-m/6,000rpmは、232kgと他と較べると軽量だったこともあり、貫録たっぷりのボリューミーなフォルムながら、軽やか且つ前輪が安定感を優先したヤマハ・ハンドリングに仕上がっていたことも、暫く人気を独り占めしていた要因だった。



その好調な滑り出しをさらに確実にしたのが翌1995年モデルからの、フロントブレーキへブレンボ製キャリパーを投入したことだろう。 こうした攻勢で、デビュー以来の他をリードする人気は安泰にみえた。

そして1996年にはカウルも装着したXJR1200Rが、バリエーションモデルとして加わったのだ。
因みにこのXJR1200最終型では、シリンダーの冷却フィンを伸ばすといった小ワザもあって、ファンからの支持を高めていたのがいかにもヤマハらしい。
しかし真っ向勝負を挑んでいたホンダは、BIG-1とネーミングしていたCB1000スーパーフォアを越えるヤマハの1200ccが許せないとばかり、CB1300と排気量をアップして対抗してきたのだ。
ヤマハも1998年モデルでは、エンジンのボアを2mm拡大した1,250ccとして、100PS/8,000rpm、10.0kg-m/6,000rpmと首位を守ろうと磨きをかけてきた。
空冷であることを強調するかのように、クランクケースやシリンダーの黒塗装をやめ、シルバー1色で冷却フィンから全体をアピールしていたのが印象的だった。
ただこのシルバーエンジンは2年間だけで、2000年モデルからは再び黒塗装として、初代と共通したイメージへ戻していた。
そして厳しくなるいっぽうの排気ガス規制に対し、空冷エンジンであることが将来を不安にする風潮を跳ね飛ばすかのように、2003年モデルではキャブレターの変更で揺るがぬ姿勢を貫いてみせたのだ。



