honda_cb400four_full-restore_001_main.jpg
ピックアップ

【YouTube連動!ヨンフォア再生プロジェクト Vol.1】CB400FOURはいかにして生まれたか?

Vol.1 ベース車両購入編 - 購入時のチェックポイント&明細書まるっと大公開!

RIDE HIのYouTubeチャンネルではCB400FOURレストア企画がスタート!

【YouTube連動!ヨンフォア再生プロジェクト】関連記事

人気急上昇の国産旧車の筆頭!

いわゆる“旧車”はどの年代でも相応に人気が高いが、その中でもいま、大きく注目されているのがホンダのCB400FOURだ。空冷4気筒エンジンを搭載したカフェレーサースタイルは、説明不要にカッコいいから人気の高さは当然。

ヨンフォアの愛称で親しまれ、かつてバイクマンガにも幾度となく登場しているのでご存知の方も多いハズ。……とはいえなにぶん古い車両なだけに、マニアでなければ詳しいところは意外とわからない。
というワケで、CB400FOUR登場の経緯や特徴を研究してみよう!

ホンダの4気筒攻勢

“400ccの4気筒エンジン”が、愛称であるヨンフォアの由来。いまでこそ400ccクラスの4気筒は激減(現時点でCB400SF/SBのみ)してしまったが、1980年代以降は4気筒モデルが高い人気を誇っており、その草分けがヨンフォアだ。……が、じつは中型クラス初の4気筒は他にあった。そんな4気筒の流れを遡ってみよう。

まずはホンダが世界に誇る、市販量産車初の4気筒モデルが、1969年7月に登場したCB750FOUR。欧州で主流だった大排気量スポーツバイクは650cc2気筒だったが、そこに排気量と気筒数、そして馬力や最高速のスペックも大きく上回るCB750FOURが投入。これが、メインマーケットのアメリカはもちろん欧州でも大人気を博した。その後、カワサキZ1などが登場し、欧州車は淘汰されていくことになる。

もちろん日本でもライダーの憧れの的となったが、欧米人の体格に合わせて開発されたCB750FOURはいかんせん巨大。そこで日本人向けのミドルクラスとして開発されたのが1971年3月発売のCB500FOURだった。さらに1972年5月に、4気筒エンジンをいっそう身近な存在とするために、CB500FOURをフルスケールダウンしたCB350FOURを発売。

こうしてホンダは750cc、500cc、350ccに4気筒エンジンモデルをランナップし、多気筒化でライバルメーカーを凌駕したのだ。

honda_cb400four_full-restore_001_01

1969 CB750FOUR

市販量産車初の4気筒エンジンを搭載。750ccの排気量や最高出力67ps、200km/hの最高速度で人気沸騰。近年のビッグバイクと比較するとそれほど大きくないが、デビュー当初は規格外の大きさに見えた

honda_cb400four_full-restore_001_02

1971 CB500FOUR

日本人の体格に合った4気筒スポーツ車として開発。静粛性や安定した乗り味で高い評価を得た。後の1974年2月に排気量を拡大したCB550FOURにモデルチェンジ

honda_cb400four_full-restore_001_03

1972 CB350FOUR

CB500FOURのフルスケールダウンで最小の4気筒モデル(当時)。いっそう4気筒を身近にするための試みだったが販売は振るわなかった。しかしCB400FOURとフレームがほぼ共通のため、後年はヨンフォアのタンクやシートなど外装パーツに換装した“バケヨン”と呼ばれるカスタム車も流行した

カフェレーサースタイルで新登場!

CB350FOURは当時のホンダ空冷4気筒を搭載する最小モデルだが、同クラスの4ストロークエンジン車でトップクラスの34psを発揮。スタイルもコンパクトながら兄貴分の750や500の流れを汲む威風堂々としたモノだったが、これが地味と捉えられたのか乗り味がマイルドだったためか、販売的にはあまり伸びがなかった。同社の2気筒モデルやライバルの同クラスの車両より高額だったのも影響したのかもしれない。

そこでホンダはCB350FOURをベースに、ニューモデルのCB400FOURを1974年12月に発売。エンジンはボアを4mm広げて排気量を408ccに拡大し、最高出力は3psアップの37psを発揮。また当時としては珍しい6速ミッションを装備した。
車体はほぼ共通だが、エクステリアを一新。スクエアでスリムなロングタンクに、表皮をリベット留めしたカスタム風のフラットなシートをセット。低いコンチネンタルハンドルに、リンクを介したバックステップを装備。これは現在から見ればカフェレーサースタイルの草分けと言えるが、当時のホンダの位置付けはスーパースポーツで、タンクのHONDAのエンブレムの下に、しっかり“SUPER SPORT”と書かれており、これもマニアの注目を集めた。

現在の感覚で見ると408ccという排気量はとても中途半端に見えるが、そのあたりはVol.2で触れていきたい。

honda_cb400four_full-restore_001_04

1974年 CB400FOUR

honda_cb400four_full-restore_001_05

1974年 CB400FOUR

CB350FOURをベースに排気量を408ccに拡大。カフェレーサースタイルと集合マフラーでイメージを一新。カラーはライトルビーレッドとバーニッシュブルーの2色をラインナップ

市販車で初装備の集合マフラー

そしてCB400FOURといえば、4本のエキゾーストパイプが流れるように美しいラインを描く“集合マフラー”。いまでこそ4気筒モデルは集合マフラーが主流だが、市販車で集合マフラーを始めて装備したのがヨンフォアなのだ。

じつは1970年代初頭までは、1気筒当たり1本ずつマフラーを装備するのが一般的だった。そのためCB750FOURも4気筒エンジンをアピールするためマフラーは4本出し(集合していない)。レーシングマシンの“多気筒=高性能”をイメージさせるために、マフラーの数が多い方が偉かったのだ。

そのトレンドを覆したのが、レーシングコンストラクターでありサイクロンマフラーで有名なヨシムラ。マフラー(エキゾーストパイプ)を1本にまとめることで、軽量化と同時に排気干渉によって排気効率を促進してパワーアップに繋がることを発見。

1971年にアメリカのデイトナ200マイルレースに参戦する「Krause Honda」に、CB750FOURのチューンドエンジンと、試作したレース用集合マフラーを供給したのが始まりといわれている。
その集合マフラーを時代に先駆けて市販車に装備したのがCB400FOURだったのだ。

Vol.2に続く。