50ccでも実用カブとは別系統のOHCスポーツ専用エンジンを開発!
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ホンダは1971年に、50ccではじめてCBの称号がつくベンリイCB50を発売した。
それまで50ccにもスポーツモデルは存在したが、基本は実用車スーパーカブ用の水平シングルをベースにバックボーンフレーム(スーパーカブは跨がりやすいアンダーボーンのフレーム)に搭載する、いわばバリエーションのひとつ。
1960年に発売になったスポーツカブ110は、センターアップマフラーと当時は最もスポーティなルックスで人気モデルだった。
それが完全にスポーツモデル専用に設計されたSOHCの50ccで、フレームもパイプで構成したダイヤモンドタイプ。
ロングタンクに何とタコメーターまで装備する、大型バイク並みの豪華な仕様だった。
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ホンダは1962年、125ccでスタートして250ccへと拡げた世界GP挑戦のカテゴリーを50ccにまで拡げた。
50ccという小排気量は4ストで2スト勢に対抗するには20,000rpmと当時は途方もない超々高回転型エンジンを必要とする。
そんな精緻なメカニズムで対抗する姿勢にホンダファンは痺れ、そうした熱いマインドへの期待に対しつくるとなれば、2ストメーカーにはなかった本格的な仕様となったわけだ。
ただ車名には250cc以上をドリームと呼び、125ccをはじめ小さな排気量にはベンリイと命名していたので、このCB50もその前にBENLYがつく呼び名。
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そして1971年のデビュー後、1973年にはフロントにそれまでのドラムブレーキから、メカニカル・ディスクブレーキという油圧ではなくワイヤー作動のディスクブレーキを装備、CB50JXとなりその後に1976年には外装系を変更、1983年まで10年以上も凛とした4ストシングルで誇らしげに世に問うホンダを代表する1台だった。
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とはいえ1980年代に入ると250ccをはじめスポーツモデルでは2ストロークが台頭、50ccは瞬く間に2ストレプリカによる饗宴と化していった。
そして遥かに後の1997年、オトナたちの少年期の夢を叶えるマシンとして、DREAM50が開発されリリースとなった。
これは世界GPで50ccへ参戦をはじめた頃、市販レーサーとしてホンダが限定で世に出したCR110を、あらためて再現したモデルで、いわば本来ならばCB50と呼ばれて然るべきマシンだった。