2スト500cc最強GPマシンを4ストで凌駕せよ!
ホンダが世界GP復帰宣言後、1978年から開発していた500cc4ストロークV型4気筒のNR500。
当時の最高峰500ccクラスで覇を競っていたヤマハとスズキは、2ストロークの4気筒でワークスマシンは120psと言われていた。
ホンダはここへ4ストロークで殴り込みをかけようとエンジン開発を画策、20,000rpm以上の超高回転で多バルブ化することで同等以上の出力を狙い、本来はV型8気筒としたかったのだが、4気筒までと制限されていたので苦肉の策として2気筒ずつ横並びで繋いでしまい、V型4気筒へ収めたのだろう……当初はまだオーバルピストンのカタチさえ想像もつかず、巷ではそんな憶測が飛び交っていた。
エンジン始動で2ストのような白煙に包まれ、カウリングをアルミ特殊鋼でモノコックのボディを兼ねたり、サイドラジエーターやスプリングとダンパーを別体化したまさかの倒立フォーク等々、まさに実験車の域にあるマシンではレースを競うレベルになく、1979年の初シーズンは予選落ちもでる始末。
しかし翌年も車体を常識的なパイプフレームとするなど変化したものの、2スト勢に遠く及ばないまま。
レーサーレプリカの流行りにも考慮して、ホンダは世界GPで真っ向勝負するために2ストのNS500やNSR500を投じ、瞬く間に世界制覇を果たしてみせた。
NR復帰はデイトナでYZR700を叩くはずだった……
最前線から姿を消したNRだったが、開発は継続していて日本国内で初優勝するなどしながら、表舞台へ再デビューするタイミングを窺っていた。
なぜなら"NR"は失敗作どころか、狙い通りパフォーマンスで従来のV型4気筒を明確に上回るハイパーマシンへと育っていたからだ。
ただ世界のレースは、GPを除くと市販車ベースで競うレースが主流で、NRのようなプロトタイプが走れるレースは滅多にない。
そのひとつがアメリカのデイトナだった。
折りしも1984年、RS1000RWというV4ワークスマシンが、ヤマハYZR700(OW69)という2ストの世界GPマシンYZR500を排気量アップしたマシンに打ち負かされたばかり。
この雪辱を果たすべくNR500は750ccまで排気量をアップ、188ps/18,500rpmと圧倒的なパワーで叩きのめす準備が整いつつあった。
ところがアメリカの主催者AMAが、頂点クラスをアップハンドルの市販車で競うスーパーバイクへとスイッチ、NR750はセンセーショナルな圧勝でイメージを一新するチャンスを失ってしまった。
そこで白羽の矢が立ったのが、Le Mans24時間耐久レース。
プロトタイプも走れるレギュレーションなのと、実験車の段階が終わって市販に移す道筋をファンにみせる意味も兼ねて、何とワークスマシンにバイク雑誌のジャーナリスト・ライダーを乗せようという途方もない企画がスタートしたのだ。
当時はこの世界選手権耐久レースと、F750(現在のスーパーバイク)ではRVF750が絶対的王者。
デイトナ用NR750も、このシャシーへオーバルピストン32バルブV4エンジンを搭載していた。
排気量が大きくなる!?
そして日本のジャーナリスト・ライダーとして選ばれた"根本 健"が、まずは感触を得るため1986年の晩秋にデイトナ用スプリントマシンを試乗。
鈴鹿サーキットのバックストレッチで、2速→3速と同じ低いギヤからダッシュする猛烈な加速が、何と6速でも繰り返される異次元な体験をすることとなった。
さらに8,000rpm以下、何と5~6,000rpmからでも蹴飛ばされるような強烈トラクションが凄まじい。
まるでビッグボアのオフロード・エンジン並みの瞬発トルクで、750ccというより1,000ccクラスに匹敵する低回転域の逞しさだ。
これがオーバルピストンの正体。
そもそも500ccで2ストの120psを上回る130psを狙うと、ピストン・スピードの限界で20,000rpmまでの燃焼サイクルでは、吸気バルブと径を合計した必要な吸気の充塡量がどう計算しても不足してしまう。
必要な径を燃焼室へハメようとしても、描く円が重なってしまうからだ。
そんな葛藤の中、通勤途上で信号機を見た瞬間、オーバル形状だとバルブ径の合計面積が増えることに着眼、縦横のサイズ比を探りながら平面でみても14%以上、回転域によっては実質それを上回る充塡効率の高さが得られる。
つまり、750ccでも860~900ccエンジンと同じ吸気量を充塡できるわけだ。
なるほど、これでは排気量でルールを設けている前提が崩れてしまう。F-1カーレースで瞬く間に禁止なったのも頷ける。
まさにレーシングマシンというより、一般公道での扱いやすさや操る醍醐味の大きい、スポーツバイクとして無限の可能性を感じさせるポテンシャルだった。
耐久レース用エンジンということで、NR750の32バルブV型4気筒は、85°の挟み角で748.76cc、155ps/15,250rpm、7.76kgm/12,500rpmというスペック。
削ぎ落としてもRVF750ワークスマシンより強力だ。
24時間を3人で走りきる"ハイペース・ツーリング"を前提に、ハンドリングは安心感の大きな若干アンダー気味なフロント・バランスとして、重心位置の高さを400mm付近へ移動、ミッションをNSR500から転用しているため、トラクション効率に幅をもたせるドライブ・スプロケットとスイングアーム・ピボットとの関係も、開けやすく緊張せず楽しめる"遅れやズレ"が介在するアライメントとした。
実はミシュランが前後プロファイルから重心位置の共有できたのも大きいが、プロライダーが嫌っていた初の完全ラジアル化を許容したことで、穏やかなツーリング・スポーツと呼べるカテゴリーの乗り味にできたのも、プロライダーに交じって走るのを躊躇せずに済んだ要因といえる。
オーストラリアで極秘裏に24時間耐久レースシュミレーションを2回完走、Le Mans出場のGOサインを得た。
ミッションはこのエンジン特性とLe Mansのコースから5速の配分で充分、流用パーツなので使わない6速を5速と同じギヤ比を組み込んでいた。
レースは予選2番手のペースで3位以内をキープしていたが、不運なことにコンロッドのキャップボルトが緩み、ピストンがバルブを突いて終了、僅か3時間半でリタイヤと不完全燃焼となってしまったのだ。
スーパーカー的なアピールで歴史に名を残す……
1987年のLe Mans出場から5年後、オーバルピストン32バルブV型4気筒の「NR」が、いかにも特別仕様なスペックに包まれ、520万円もする豪華仕様のマシンとして限定販売された。
実験車ではなく市販車として完成させるまでのプロジェクトを貫いたワケだ。
市販エンジンは、ピストンも機械加工がワークスマシンのような難易度の高い長円ではなく、直線部分がない楕円形状に変わり、電子制御インジェクターのPGM-FIへと進化、747ccで海外仕様の最高出力は130 ps/14,000 rpm。
低回転域からトルキーではあったが、車重や差す設定の違いもあって、NR750のようにリッターマシンと勘違いさせるほど明確な力強さと運動性はない。
そしてこの「NR」を最後にオーバルピストン開発は終止符が打たれた。
しかしどんな難関が待ちかまえていようと、他にないオリジナリティで輝けるのなら、そこに熱量の高い思い入れを注ぎ込み、突き進んでいく姿を見せてもらった者として、ホンダならではの破天荒なバイクをつくって欲しい、そう願うことを諦めたくない。ファンは夢を見られるバイクを待っているのだから。
"NR"の存在は、届きそうにないくらい高い目標へ向かって、まさに闘いを挑むスタイルで、いかにもホンダらしさを感じさせていたプロジェクトだ。
スポーツバイクには安心確実なだけでなく、どこか破天荒な"想い"が込められていたほうが、ライダーは共感できる。
そんな魅力を常に携えるメーカーであって欲しいと願うばかりだ。