フロント17インチ化した1990年のA7以降は殆どが現役!

カワサキは1972年のZ1で大成功を収め、Z1000やZ1-Rにローソンレプリカ、ターボ化にFI(燃料噴射)など仕様も進化、GPz系ではハーフカウルも定番となるほど好評で空冷ながら順調にマーケットシェアを維持していた。
ただライバルメーカーは水冷に4バルブ化とパワフルさを増して猛追、そんな危機感から遂に水冷化を決断、GPz900Rの開発がスタートした。
実は1980年9月に空冷6気筒の900cc開発にチャレンジ、試作車が走りだしたもののシックスのあまりのスムーズさにカワサキらしくないと断念。
そんな回り道を経てコンセプトを根底から見直し、ライバルの1,000cc化に敢えて900で挑み、ゼロヨンと最高速で世界一を目標に開発を急ピッチで進められた。



もちろん900ccで世界最速を狙う高出力化には水冷が必須。
コンパクトさを求めた高効率化は、各気筒のピッチを均一にするためDOHC16バルブを駆動するカムチェーンを、これまで左右2気筒のちょうど真ん中に設けていたのを、左端に設定するという、2輪では初の4気筒を非対称とするレイアウトを決定。
車体も最速を実現するため、エンジンにバランサーを加えフレームとのラバーマウント化を避けた剛性メンバーとして、ビッグバイクでは異例のアンダーチューブを省いた思いきりコンパクトな構成でまとめたのだ。


ところが開発最終段階で、エンジニアに営業トップからこんな問いかけがあった。
「性能は世界一、それは頼もしいが開発者としてカッコ悪いと思う箇所はないのか?」
エンジニアはサイドカムチェーンなので、エンジンが左から見たのと右側はカムチェーントンネルで覆われてノッペリとしてる、これがカッコ悪いかもだがカウルで覆われてどうせ見えないので心配はしていない……」
それをオリジナリティと個性に変えようということになり、最終段階でフルカウルの側面をエンジンが見えるようにカムチェーントンネルの形状に合わせてクリ抜き、左右で違う違和感をアピールすることになった。
デザインもCD値0.33の驚異的な空力特性を得ながら、フルカウルでもエンジンを見せるNinja人気を決定づける大英断も下され、1983年のパリサロンでデビュー。
続く12月にアメリカのラグナセカ・スピードウェイでワールドプレス発表、900ccながら115PSで250km/hのトップスピードと0-400mを10.976秒のパフォーマンスに世界は湧き上がった。


こうして対米モデルのペットネームNinjaの名で世界を駆け巡った新たなフラッグシップGPZ900Rは、映画「トップガン」人気も追い風となり、1986年にはGPZ1000RX、1988年にはZX-10を経て1990年に147PSで300km/hに迫るZZR1100が登場しても、その人気は衰えず継続モデルとして生き残り続けたのだ。
そんな流れの中、1990年のA7から前輪を16インチから当時一般化していた17インチ(ホイールが3本スポーク)へと変更、後輪も18インチながらワイド化されている。
これによって現在もタイヤチョイスに縛られることなく、これからも生き存えるバイクとしてバリューを高めることになった。

そして1991年、ナナハン超えを認めなかった国内規制が撤兵され、GPZ900Rは国内向けが発売されることになった。
このA8では国内仕様が22ps下げられていたが、減速比など見直され国内での走行アベレージに見合った特性となり走りやすさが格段に向上。
1992年のA9ではブルーとシルバーの初期A1と同じカラーリングを賦活、標準だったレッドとガンメタのオリジナルツートンも用意されファンを泣かせていた。

ほぼ20年にわたるロングランとなったGPZ900Rだが、前輪17インチ化に続いて1999年にラジアルタイヤ化やブレーキ強化にガス封入式ショックアブソーバーへと潮流に合わせた変更もうけたが、根強い人気に支えられエンジンや車体に外観という基本は全く変えずに生き存えていた。
この間、復活したカラーリングがいくつも存在したが、グラフィックの組み合わせが一部異なるなど巧みな処理が功を奏し、Ninja人気のレベルの高さに繋がっていた。

A1~A16まで絶妙なグラフィックセンスの良さを含め、カワサキのデザイン力が国産メーカーの中でも群を抜いていたのは間違いない。
そして2003年、遂に20年の歴史に幕を閉じたが、累計で何と80,000台以上が生産されるという歴史に残る名車だった。



