意外な馴染みやすさと速さで、スズキの2ストローク技術は信頼を勝ち得ていった!

1960年代も後半になると、世界GP制覇で海外の中型クラスは日本勢が最強のイメージが定着、どのメーカーも英国勢がメジャーな存在のアメリカ市場で、より利益の大きな大排気量クラスへの進出が命題となっていた。
そうした中、スズキは傍らで4スト化への挑戦を水面下で模索しながら、従来からのテクノロジーで定評のある2ストロークで大排気量へチャレンジすることを決定、世界GPモトクロスで勝ち進んできた250cc単気筒ワークスエンジンを横に並べた500ccツインの開発をスタートさせた。



ボア×ストロークを70mm×64mmとワークスモトクロッサーRMと共通にした492ccは、47ps/6,500rpmと5.5kgm/6,000rpmを発揮、高負荷で長時間の連続運転をすると熱歪みなど様々なトラブルと取り組んだ空冷ツインは、敢えてピーキーとせずビッグバイクのライダー好みにレスポンスを穏やかに設定、ハンドリングも安定性を優先して意外な馴染みやすさと、さらに2ストならではの軽快感と加速感で、デビュー直後から高評価で湧いたのだった。
クランクシャフトへ直接給油するC.C.I.の効果で、思ったほど白煙を吐かない上に、180km/hを超える最高速と0→400mを13.2秒の俊足ぶりは、2ストロークといえば小排気量エンジン専用と思われていたイメージを完全に覆してしまった。

さらに世界GPで販促効果の大きさを身にしみて感じてきたスズキだけに、この500ccツインはTR500と呼ばれる市販レーサーも開発、これをベースにワークスチューンでアメリカのデイトナをはじめ、ヨーロッパ各地でのレースへも進出をしていた。
TR500はすぐに水冷化され、英国勢で占められていた状況を塗り替えていった。


いっぽうT500は、より安定性やビッグバイクらしさを求められ、毎年マイナーチェンジを繰り返し「タイタン(巨人)」の愛称と共にT500 llへと進化、1975年を最後に1976年からはGT500と車名も変えて生き存えていくのだった。


そして1971年には、ご存じ水冷3気筒のGT750が2ストロークのスーパースポーツでは最大排気量としてデビュー、GT500と棲み分けながらスズキ2ストローク・フラッグシップの時代を守り続け、1976年に初の4ストローク4気筒GS750へとバトンタッチしたのはご存じの通り。
世界で類をみない2スト・フラッグシップの威風堂々たる存在感は、いま見てもインパクトに満ちた感性に溢れている。



