RZ250へバトンタッチするまでのヤマハ2ストの意地!

ヤマハは1980年に水冷RZ250をリリース、もう終焉と言われていた2ストロークのスポーツバイクに復活の道を切り開いた。
とはいえ、その前年までアメリカの排ガス規制をはじめ数々の試練と闘ってきたヤマハ空冷2ストローク2気筒の意地も壮絶なもの。
GPマシンでも通用する市販レーサーや世界に冠たるオフロードレースからのテクノロジー総がかりで、YDS-1以来ヤマハのブランドを世界へと羽ばたかせた道筋を守ろうとしていた。


まず何よりTD2にはじまり空冷では350ccのTR3や1975年に水冷化されたTZ250/350の市販レーサーが、世界タイトルを奪い合うそんなパフォーマンスを支えた優れたダブルクレードル・フレームの定評が強みだった。
そこへ世界のモトクロスでリードバルブで2ストの弱みといわれた低中速のトルクに力量を与え、走りの完璧さで右に出るモノはいないと称されていらからだ。



しかしそこへ新しい可能性を感じさせるフィーチャーは必要だった。
それがシリンダーヘッドに設けた、走行風圧を点火プラグまわりへ導くラム圧エアスクープ。
ボア×ストロークが64mm×62mmの348ccで、40PS/8,000rpmと3.8kgm/7,000rpmは、周囲の4スト2気筒に追随を許さないトップパフォーマンスの持ち主だった。


燃料タンクは長めのレーシングマシン的なフォルムとなり、サイドカバーへと連続するデザインはヤマハ最新の大型バイクとのイメージをオーバーラップさせていた。
とりわけ海外ではTZ350のイメージが重なるよう、車体色もホワイトベースが多用さえていた。

しかしこれがそこまで育んだヤマハの2ストローク栄光のストーリーを喰い尽くしたに近い状態に陥っていたのはヤマハもわかっていたに違いない。
その鬱憤を晴らすかのようにデビューしたのがRZ250だったのだ。