水冷RZ250デビューに繋いだラム圧冷却ヘッドとレースで鍛えたハンドリング!

ヤマハは1959年のYDS-1以来、世界GP制覇など2ストロークのスーパースポーツとして君臨していたが、アメリカの排ガス規制をはじめ数々の試練と闘ってきた。
そして1980年、水冷RZ250をリリースしてもう終焉と言われていた2ストロークのスポーツバイクに復活の道を切り開いたのはご存じの通り。
そこへ繋ぐまさに直前、ヤマハは王者RD250/400の意地をみせるシリンダーヘッドに膨らみのあるラスト空冷エンジンのモデルをリリース。


ヤマハにはTD2市販レーサーにはじまり。1970年からワークスマシンが撤退した350ccクラスで、TR3が世界タイトルを奪い合う時代を迎えていた。
そのエンジンはRD250/350がベースで、ダブルクレードル・フレームを何と共有するという高度なスペックが評判だった。




しかし排気ガス規制で市販車のほうは牙を削がれるいっぽうで、何としても新しい可能性を感じさせるフィーチャーが必要だった。
それがシリンダーヘッドに設けた、走行風圧を点火プラグまわりへ導くラム圧エアスクープ。
RD400のボア×ストロークは64mm×62mmの398ccで、40PS/8,000rpmと3.8kgm/7,000rpmは、周囲の4スト2気筒に追随を許さないトップパフォーマンスの持ち主だった。
またRD250ではボア×ストロークが54mm×54mmの247cc、30PS/7,500rpmと3.0kgm/7,000rpmの依然として250ccでは頂点マシン。
車重はRD400が153kgで、RD250は150kgに収めていた。



燃料タンクは長めのレーシングマシン的なフォルムとなり、サイドカバーへと連続するデザインはヤマハ最新の大型バイクとのイメージとオーバーラップ。
とりわけ海外では最新レーシングマシンTZ350のイメージが重なるよう、車体色もホワイトベースが多用されていた。


しかしそれでもヤマハの2ストローク栄光のストーリーを、半ば喰い尽くしたに近い状態に陥っていたのはヤマハもわかっていたに違いない。
その鬱憤を晴らすかのように、水冷でモノクロスサスペンションにチャンバーマフラーのRZ250がデビューしたのだった。



