メッキのトラスフレームに2スト200cc単気筒
レプリカのバイクブームに迎合しないフィロソフィ
’80年代半ばはバイクブーム真っ只中。レーサーレプリカが乱舞し、毎年フルモデルチェンジが繰り返され、ユーザーは最新でいるのが辛くなりかかってもいた。
そんな状態に煽ってきたメーカー自身から、1987年に何とアンチテーゼを謳ったバイクがヤマハから登場した。
その名はSDR。スポーツバイク系のネーミング記号になかった組み合わせに、従来のカテゴリーに属さない主張が込められていたのだ。
ゼファーをはじめ、ネイキッドのブームがはじまるまだその前に、バイクをパフォーマンスやテクノロジー進化でばかり語るのに辟易とした(とメーカーが想像していた?)ユーザーに、もっと新しい次元で世間のカルチャーと歩調の合った世界観でバイクに接したい、そんなメッセージが発信されたのだ。
世の中には不必要なものが多すぎる
だから、いちど原点へ帰ってみよう
ヤマハSDRのカタログには、原点復帰をスローガンに、性能やスペック競争に明け暮れるバイクメーカーへの反骨心?と思える言葉が並んでいた。
いつの時代にも主流がある。多くの人が憧れるコト、多くの人が欲しがるモノ、多くの人が認める常講。それが、その時代の主流になる。自分を安心させる材料になる。いいわけの理由になる。でも、できあいの基準だけを頼りにしているなんて、つまらない。流行に振りまわされす飾りに目を奪われることなく、自分らしさを貫いていくことのほうを大切にしたい。
アンディ・ウォホールのイラストをバックに、メジャーにばかり目を向ける空気を否定する文言......バイクブーム渦中の当事者からこんな言葉が発せられる、それもヤマハらしさと思わせてもいた。
メッキのトラスフレームと、メッキのワイヤーで組むラックとをオーバーラップさせ、ライフスタイルのカルチャーから取り残されているバイクの世界に一石を投じようという意気込みが伝わるカタログだ。
34PSで105kgと、テクノロジーを尽くし
パワーウェイトレシオでRZを凌ぐ闘魂マシン!
しかし単なるアンチテーゼだけではなく、SDRには新しいチャレンジが詰まっていた。
梯子状のトラスフレームは、ニッケル・スズ・コバルトの3元素を用いたメッキ手法、錆に強く光沢が鮮やかなクオリティを誇った。
エンジンは水冷2ストローク単気筒で、195ccながら34PS、排気ポートを可変としたYPVSやクランクリードバルブとYEISという吸気チャンバーに、キャブレターはフラットバルブ方式と、鋭さで勝負する実力派の構成。
シンプルな車体との組み合わせは、105kgの車重から3.08kg/psのパワーウェイトレシオで、何とRZ250を上回っていたのだ。
コーナリングでレーサーレプリカを追い回し、慌てさせる......そんな反骨心が込めたと開発スタッフが豪語していた。
他にもサイドカバーに見えるアルミの構造体は、エアクリーナーを仕込んだ吸気ボックスだったり、排気系もチャンバーをエンジン下へ湾曲させて収めるショートタイプとして運動性アップを狙うなど、従来とは次元の異なるチャレンジの塊でもあった。
バイクブームの過熱ぶりに、こうした気骨に頷くライダーも少なくなかったが、実際にはヒット作とならず、製造も短期間で終了している。
しかし、テーマを持ってアピールするデザインは、やはりそれなりに説得力がある。そんなことで、いまも人々の記憶に残るマシンの一台であるのは間違いない。