スーパーモノのフィロソフィに続くスーパーツイン構想!
1985年にSRX400/600をリリースしたように、ヤマハにはスペック追求より感性を嗜むバイクがお家芸的に存在する。
そのSRXが目指したスーパーモノのように、1990年代に入るとスーパーツイン構想がアタマをもたげてきた。
きっかけはパリダカール挑戦で新たな路線となったTDM850の存在だ。
砂漠で蹴るチカラと運動性を追求して得た270°のツイン。
不等間隔爆発のパルシブなトルクの山と、オフローダーでもあるためエンジン下にオイルパンを持たないドライサンプで、オイルタンクをシリンダー背面に持つ重心位置が、あらゆる方向へブレない運動性をもたらしていた。
これはオンロード・スポーツでも、走りの醍醐味を味わえるスーパーツインがつくれるに違いない。
前傾40°のシリンダー傾斜角と、持って生まれた重心位置のメリットを妨げない、車体上部が軽量なトラスフレームで得たスリムさは、4気筒スーパースポーツとは次元の異なる走りの世界がイメージできた。
気筒あたり吸気3バルブと排気2バルブのDOHC5バルブ燃焼室に、ボア×ストロークが89.5mm×67.5mmの並列2気筒8499cc。
最高出力は61.0kW(83.0PS)/7,500rpm、最大トルクが84.3N・m(8.6kgf・m)/6,000rpmと明確な中速域重視の設定。
ホイールベースは1,430mmと中型クラスのコンパクトさで、車重も乾燥で188kgに収まる。
4気筒勢と明確に異なるフォルムを際立たせるハーフカウル仕様で、TRX850は1995年にリリースされた。
ツインスポーツに馴染みのあるマーケットと経験がない国内との違い!
BIG TWIN SUPER SPORT、日本向けカタログや雑誌広告ではこの英文字が目立っていた。
とはいえその表現はカジュアルさを演出、親しみやすさで新しいツインスポーツに馴染んでもらおうとする配慮が見てとれた。
しかしこれがそもそもの誤解を孕んでいたのは否めない。
おまけに深紅の単一カラーリングも、イタリアのドゥカティに追従するイメージが漂い、突き詰めたスーパーツインの評価を薄めてしまったようだ。
こうしたカジュアルなカラーリングでデビューしたTRX850だったが、海外でのアピールはかなり次元の異なる表現に包まれていたのだ。
わかりやすくいえば、最初から硬派イメージ。走りの醍醐味を味わうためのスーパーツインを明確に押し出していた。
そこには270°位相クランクが醸し出す、トルクの山が連続して2回の力強いパルスを刻むイメージが強調され、トラクションを駆使した熱い走りのアピールに包まれているのと、カラーリングもよりシックな感性の大人を意識させる感性でまとめられていたのだ。
凛としたシンプルさから漂うツインスポーツのポテンシャル!
確かに国内向けにリリースされていた風貌に対し、ヨーロッパを中心とした海外向けの印象はかなり異なっているのが伝わってくる。
ビッグツインに慣れたマーケットへ、既に説明が不要なポテンシャルと感性で直球勝負していた。
そもそもサスペンションの仕様など、国内向けと海外向けとは違わない走りを意識させる設定。
それがボディカラーとトラスフレームとのカラーリング・コンビネーションで、カジュアルさが前面に出ると、ストイックな走りを堪能するスーパーツインという世界が想像しにくい。
追いかけて輸出仕様と同じカラーリングも用意されたが、初期にリリースされたイメージの浸透が強く、硬派なライダーには馴染まない価値観が定着していた。
こうした初のスーパーツインというイメージを伝える難しさで、人気車種にはならなかったTRX850だったが、ベースとなったTDM85は1996年にルックスもモデルチェンジ、2001年にはグラフィックを含めフォルム全体で変貌を遂げるなど、世界的に10年を跨ぐロングラン・モデルとして進化していたのだ。
TRX900……そのデザインの新たな方向性と共に乗ってみたい願望は少なからずあった筈だが、それは夢と化したままスーパーツインは潰えてしまった。