2輪レースでは煙草ブランドがスポンサーの主流だった時代!
世界のレーシングカーが煙草や洋酒のスポンサーカラーで彩られはじめたのは1970年代から。
それは二輪の世界GPや世界選手権耐久レースにも1980年代から波及、モータースポーツにより多くのファンを誘導する役割も果たしていた。
スポーツバイクではレーシングマシンのレプリカ(複製)と呼ばれるテクノロジーをフィードバックしたマシンが凌ぎを削り、そのフェアリングや燃料タンクにシートカウルにGPや耐久のスポンサーカラーをペイントした特別仕様まで製品化され、ファンのココロを熱くしていた。
その筆頭が1983年にスズキがリリースした2ストローク250ccのRGΓ(ガンマ)。
まさかのワークスGPマシンでしか見られなかったオールアルミ製フレームを採用した乾燥で131kgのあり得なかった軽量スペック。
セパレートハンドルの前傾ポジションでカウルを装着する、それまでのレーシーな雰囲気などというレベルとは一線を画した、まさに本モノ感が漂っていたのだ。
そして翌年、早くもカウルをスラントノーズ化したモデルに、世界GPの頂点500ccクラスでチャンピオンを獲得したRGΓと同じ、HB(ドイツの煙草ブランドなのでハーベーと発音)カラーが登場した。
オールアルミ角断面フレームは、その断面の四隅にリブを持つ形状に変更され剛性をアップ、たった1シーズンでNewモデルを投入する、GPマシン並みの開発スピードにファンも酔い痴れていた。
フレームだけではない。水冷2ストローク2気筒は、排気系に径の異なる筒を溶接したレース用のチャンバーと、テール部分にアルミのサイレンサーを装着したレーシングマシンそのまま。
当時最強の45PS/8,500rpmで3.8kgm/8,000rpmのタコメーターが、3,000rpm以下が表示されないこれもレーシングマシン並みとファンの心をくすぐる装備。
加えてサスペンションは、RGΓと同じリンクを介してバネレートがプログレッシブに強めるフルフローターという超先進的な構成で、しかも工具を使わず油圧ダイヤルでプリロード調整ができるリヤサスと、マニアックな仕様だらけで他を圧倒していた。
そして翌1984年、今度は400ccクラスで車名に排気量表示のないGSX-Rをリリース。
カウルのヘッドライトを1983年に世界耐久でチャンピオンとなったGS1000Rと同じふたつ目として、特別仕様としてワークスマシンが纏っていたHBカラーも用意されていた。
憧れのレーシングマシンを手の届く存在とした、まさにレプリカ時代の饗宴を牽引する寵児だった。
アルミ角断面フレームは単体で7.6kgしかなく、エンジンも当時最強の59PS/11,000rpmで4.0kgm/9,000rpmを発揮しながら単体で66kgと、ベースだったGSX400FWから10kgもの軽量化を果たし、乾燥重量は僅か152kgという、パワーウェイトレシオで2ストのRG250Γを上回るというとてつもないポテンシャル。
エンジンスペックの斬新さはもちろん、サスペンションのアジャスト機能に加えブレーキのキャリパーでピストンを増やしたレーシングパーツ並みの高度化など、革新的要素を一気に詰め込んだ勝負マシン。
跨がると目の前はワークスマシンから漂うプロのコクピットと、すべてに半端ない魅惑の塊りだった。