ライダーが夢でしかないと思うような、
まさかのワークスマシン仕様マシンをつくろう!
1983年、スズキはRG250Γ(ガンマ)を衝撃のデビューをさせた。
時代はレーサーレプリカに突っ込んだ当初、まだロードスポーツにレーシーなイメージを纏わせたルックスが人気だったが、レーシングマシン然とした仕様ではなかったその頃に、スズキは何とGPマシン専用だったアルミフレームを採用したのだ。
それだけではない、前輪16インチでしかもGPマシンが履いていたミシュラン製タイヤ、フルフローターサスペンション、セパレートハンドル、プリロード・アジャスター等々、当時のビッグバイクでさえ装着すら考えていなかった、贅沢な装備を満載していたのだ。
250ccでココまで!と世間を驚かせたRG250Γには、実は開発陣に特別な思いがあった。
それはスズキにしかできない、圧倒的なマシン。
4スト化で出遅れたスズキは、それでもGS750/1000で瞬く間に追いつき、GSXシリーズで初のDOHC16バルブと他に先行さえしたが、まだ圧倒的な優位には立てていない。
そこで世界でリードしてる世界GPのテクノロジーを、市販車へ投入して、GPマシンのパフォーマンスが楽しめる唯一のメーカーをアピールしようとしたのだ。
そうして取り組んだ一番の難題が、アルミ・フレーム。
レースの世界でも、採用しているのはワークスマシンだけ。市販レーサーにも使われていない、つまり量産オートバイでは未経験の素材だったのだ。
ライバルのいない圧倒的なスペック、
しかし経営陣は難色を示していた……
量産するには、当然アルミ溶接が必要になる。しかしオートバイ業界には未体験ゾーンだ。
アルミの引き抜き角パイプという素材から、すぐには見つからない状態だった。
ワークスマシンで開発できたからといって、市販車を同じ仕様でつくるのはムリ、しかもコストが段違いに高い。
250ccで常識を遥かに飛び越えた仕様に、経営陣から開発許可が出ない……。
しかし131kgという、125cc並みの車重を達成するにはアルミフレームは必須だった。
何とか初代Γに間に合ったアルミ角パイプは、翌1984年にはレーシングマシン同様の四隅にリブのある、軽量且つ強靭な仕様で車重をさらに軽量化するという、まさに執念を燃やしたアルミフレームだったのだ。
スズキは2ストでこれとは異なるボア56mm×ストローク50mmの、ピックアップが鋭く高回転化が容易な仕様も熟知していたが、既にGPレースでもコーナリングには中速トルクが勝敗を決めるというノウハウから、左右のキャブレターを連結して吸気チャンバーを設ける仕様で、中速域重視のボア×ストローク採用となったのだ。
250ccでもウイリー可能な力強さと超軽量なマシンのパフォーマンスが、他を圧倒していたのはいうまでもない。
レーシーな特別感を強めるスポンサー限定カラー!
またRG250Γは、レーシングマシンがRG→RGB→RGΓと刻々進化したように、毎年イヤーモデルとして刷新があり、1983年の1型に次いで'84年の2型ではカウルのフロントがスラント(斜め)化とアルミフレームの変更で車重が127kg!まで軽量化、'85年の3型は可変排気バルブ装着とエンジンが大きく変わり、カウル形状の変更や'87年には後輪の17インチ化などがあり、各モデルにフルカウルも用意され、さらには世界GPのHBカラー、全日本のウォルターウルフ・カラーと、華やかな個性を演出していた。
1型で初の前輪16インチ化を、世界GPで協力関係にあったフランスのミシュラン・タイヤへ発注したのも異例ならば、フロントフォークに左右それぞれプリロード・アジャスターが付き、リヤサスは油圧ダイアルでプリロードを容易く調整できる機構など、大型のスーパースポーツにもなかった装備がされていた。
「世界GPを闘うのと市販車も同じ気持ちなんです」
まさに250ccでは考えられない仕様で、価格もクラス一番だったが、そんな突き抜けた贅沢仕様に心惹かれるライダーを増殖させたスズキの熱意が素晴らしかったのは間違いない。