ジェネシス末弟の新世代を狙う2モデルに鋏まれた濃淡2パターンのレプリカ!
1985年4月、ヤマハは宿敵ホンダが1982年に放ったVT250Fの人気に待ったをかけるべく、4気筒のFZ250 PHAZERをリリース。4気筒の48mmしかない小さなボア径にクラス初の4バルブ設計で、シリンダーが45°に前傾してダウンドラフトキャブから直下にストレート吸気するジェネシス・エンジンを搭載した超意欲作だ。最高出力は45PS。2スト250で得られるピークパワーと同じで、何と14,500rpmの超高回転域で発生し、16,000rpmまで回るまさに金属音のエキゾーストノートでファンの心を揺さぶり続けるエンジンだった。
ただヤマハは高性能でも250ccユーザーにはレーシーなバイクではなく、街中からツーリングまで広範囲に対応できる新世代コンセプトが向いていると、ご覧のような従来にはなかったスタイルのスポーツバイクとしたのだ。
ところがこの真新しいフォルムにユーザーは飛びつかず、むしろライバルたちと同じレプリカがヤマハにも欲しいと熱望された。
するとまるで水面下で用意していたかのように、1984年から大ヒットしていたFZ400Rと同じフォルムのFZR250がデビューした。
それもそのはず、PHAZERは既にエンジンから角断面のダブルクレードルフレームに至るまで、スーパースポーツに相応しいパッケージで開発されていたので、いわば外装だけ着せ替えるだけ(もちろん諸特性はさらに改良を加えていた)に近いカタチでまとめられ、FZ400Rに憧れていた250ユーザーをはじめ多くが飛びつき、瞬く間にクラストップの人気モデルとなった。
250ccクラスならではの反応が、ヤマハ純正のレーシーな塗りわけだけが一番人気ではなく、むしろブラックだったり凛々しさや大人びたファッション性を感じられるグラフィックが好まれる傾向にあった。
さらに鈴鹿8耐の盛り上がりで、資生堂テック21やネスカフェのスポンサーカラーも限定モデルで登場、多くの注目を浴びていた。
とはいえ、TOPの人気もライバルがこぞってアルミフレームなどレプリカ度合いを益々強めるエスカレートぶりに、ヤマハも対抗していくことになり、ここで一気に400ccクラスで培ったノウハウも注ぎ込む贅沢三昧な進化を遂げることに。
FZR250RRで採用されたデルタボックスは、アルミ鋼板を溶接して組み上げる、他のアルミ引き抜き素材を取り回すツインチューブでは真似のできない、適材適所の強度と軽量さで好バランスの高度な設計だ。
前モデルの後期型で採用した、排気系に電動のバッファを可変とするExupも装備、車体まわりと相俟って750~1,000ccレプリカ一連のノウハウがすべて注ぎ込まれていた。
しかし、この頃は既にレプリカの高度化していくいっぽうで、価格も跳ね上がっていく過激さにユーザーがついてゆけなくなり、一気に熱が冷める傾向へと流れが変わりはじめたのだ。
それでもデルタBOXフレームは板厚を増やすなど、FZR400Rで展開された進化に追従、ラストのレプリカとして惜しみなく完成度を高めた。
折りしもFZR400Rがカウル前部をスラント化、ヘッドライトが丸形2連から2眼でもひとつのケースに納まる新しい顔つきになったのを機に、FZR250Rもこれに倣ったモデルチェンジを実施。
ただエンジンは1991年にからのZEALに搭載された、中速域を重視した街中でも使いやすい中速トルク型に換装していた。
そのZEAL、PHAZERと同じにようにヤマハに根強くあるアンチレプリカのコンセプトが、レプリカ熱が下火になりそうな気配とみるや、思いきりカジュアルなフォルムとしたチャレンジに取り組んだのだ。
当初は若い世代の人気タレント起用で、大学のキャンパスにいるようなシチュエーションを感じさせる広告展開だったが、実は250ccクラスこそ年齢幅が400ccより広く、年齢的にむしろ高いという実態から乖離している状況から、仕上げの傾向や広告展開もグッと大人びた側へ方向転換していった。
しかし気運的には高回転4気筒ではなく、2気筒や単気筒の趣味性を感じさせるトラディショナルなコンセプトへと意識がかわりつつあった。
ということで1995年でジェネシス250cc4気筒は10年で幕切れとなったが、この群雄割拠でモデルチェンジのピッチが凄まじかった頃に、10年間ベースを変えずに進化対応したエンジンとして歴史にシッカリ刻まれたのだった。