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なぜ昔はDUCATIが乗りにくかった?【ライドナレッジ135】

Photos:
DUCATI

軽快だけど前輪にグリップ感がない、
不安がつきまとうハンドリングの危うさ!

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'80年代のバイクブームは、国産バイクだけでなくいわゆる"外車"、海外メーカーのバイクへ手を伸ばすライダーも徐々に増やしていた。
当時の大型バイクは既に日本車が圧倒的優位で、スポーツバイクではトライアンフやBSAにノートンなど英国勢は消滅していて、ドゥカティとBMWがかろうじて残っている程度。

BMWは空冷ボクサーだけで一部のツーリングマニア向けとして捉えられていたので、スポーツライディングとなるとドゥカティのみ。
'70年代後半にマイク・ヘイルウッドがマン島T.T.で優勝したマシンのベースとなった、ベベル駆動の旧態ビッグLツイン750SSが唯一日本製スーパースポーツに対抗していた。

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そのドゥカティがベベル駆動のOHCから、コグドベルト駆動に換えコンパクト化をはかったT.T.F-2マシンを開発。
強制開閉バルブのデスモを実用化させ、世界GPチャレンジ時代からドゥカティを牽引し続けてきた鬼才タリオーニ技師は、コンロッド1本分しか単気筒と幅の違わない超スリムな新型Lツインをデビューさせたのだ。
クランクケースにスイングアームピボットを配置し、トレリスフレームでバイク全体を中型サイズにまとめる、現在のドゥカティ・エンジニアリングへそのままへ受け継がれたベースが既に完成していた。

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そして1985年、750F1として市販が開始されると、ドゥカティはアメリカAMAのデイトナへ出場。日本製4気筒勢と互角に渡り合うパフォーマンスをみせ、ファンを狂喜させたのだった。。

エンジン幅が単気筒+コンロッド1本だけ、
そんな750~1,000ccは経験がない!

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世界でプロダクションバイクのレースで、ルッキネリやフェラーリというイタリアの世界チャンピオンライダーによって圧巻の成績を収めた750F1だったが、市販車の750F1は初めてのフルカウルでレーシングマシンそのままのフォルムという話題性では群を抜いていたが、実際にライダーうけしていたかとなるとまだ微妙だった。

それもそのはず、まずイタリア製であることへのもうひとつ信頼できない気持ちが残ること。
そして実際に試乗すると、それまでの日本車に慣れた感覚では違和感だらけの走行フィーリングなのだ。

何より車重が170kgほどで、当時の400ccクラスと同じくらいという軽さ。そして250c並みにスリムな車体となると、リーンは警戒心の塊りとなってしまう。
ましてや前輪16インチと、250や400で小径タイヤを経験してきたライダーも、ビッグバイクでのハンドリングとなるとすぐには馴染めない。

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しかし世界のトップクラスのライダーなら速く走らせられる。シロウトの手には負えないが、実はポテンシャルの高い孤高のマシン……ベベル駆動の時代にも言われていた、ライダーを選ぶマシンというイメージが、ファンが増えた時代ということもあってさらに定着していく傾向にあった。

ラジアルタイヤがすべてを安定と吸収へ働き、
不安のない曖昧さが乗りやすさへと導いた!

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このドゥカティの乗りにくさ……言い換えればリーンなどライダーが操ろうとするときにみせる反応の変化は、軽くて超スリムという、本来はメリットとなるべき要素に原因があった。
それはタイヤだ。'70年代から200km/hオーバーが当たり前になってきたビッグバイクは、その速度域を250km/hからそれ以上までに達し、速度域と荷重に耐えるよう車体も重くなり、タイヤは250kgやそれ以上に耐える、しかも高速域で破綻しない構造となると、400ccクラスかそれ以下に軽量なドゥカティには過剰な仕様でグリップ感が希薄となる。

この乗りにくさを解決へと導いたのがラジアルタイヤの登場だった。
'80年代終盤から'90年代へかけて、ミシュランを筆頭にヨーロッパのタイヤメーカーは次々に高速に耐え且つしなやかな吸収と広範囲に安定性を発揮できるタイヤを開発。
これを履いたドゥカティは、突如ビギナーが乗っても違和感のないハンドリングへと激変したのだった。
言い換えればラジアルタイヤがもたらした曖昧さと、そこへきてオーリンズやホワイトパワーなどサスペンション・メーカーの高度な仕様が市販車へ標準装備される流れも加わり、本来のポテンシャルがテクニックを必要とせず発揮されるということになったのだ。
この高評価は瞬く間に広まり、バイクブームの波に乗ってドゥカティは日本での販売数を急激に伸ばしていった。

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こうしてライダーを選ぶ孤高のブランドから、誰でも乗れるイタリアンスポーツへとイメージも変わり、ドゥカティはそこに可能性を見出し、ネイキッド・アップライトのモンスターを投入して成功を収め、熱きイタリアンとしてポジションを高めてきた。
その乗りやすさへの転換期を経験したドゥカティは、パニガーレやV2からV4エンジンへと進化したスーパーバイクのパフォーマンスの世界を築くいっぽう、スーパースポーツ系などツーリングしやすいハンドリングのノウハウにも長けてきて、より幅の広いユーザーへも波及することになってきた。

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本来のスリムで軽量な乗りやすさは、最新のスクランブラーやモンスターでさらに進化。
パフォーマンスのドゥカティのイメージだけでなく、ビギナーやベテランまでライフスタイルへ溶け込みやすいバイク・ブランドとしての定着を急速に進めている。
繰り出されるNewモデルを見るにつけ、日本メーカーが益々後れをとっている感は否めない。

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